長崎県」カテゴリーアーカイブ

長崎県長崎市 鳴滝塾跡

フィリップ フランツ フォン シーボルトは、
ドイツ人の医師で植物学者。
オランダの軍医となり東インドに派遣され、
日本研究を希望して出島商館医となると、
そこで優れた技術を認められて、
特別に出島の外での診察を許されます。
また鳴滝続きを読む

長崎県西彼杵郡 時津湊

浦上街道の終点である時津湊大村藩領で、
同藩の港である彼杵湊と連絡しており、
多くの物産品や人が運ばれました。


時津港周辺。緑の線が街道筋で、
小さな赤丸は茶屋跡と、
日本二十六聖人上陸の地


時津湊」。
埋立てで当時とは海岸線も変化。… 続きを読む

長崎県西彼杵郡 時津御茶屋跡

浦上街道の終点である時津湊大村藩領で、
同藩の港である彼杵湊と連絡しており、
多くの物産品や人が運ばれました。


茶屋(本陣)」。
大村藩の設置した御茶屋跡
当時の面影のまま現存しています。
当初は現在の中央市場辺りに置かれ、… 続きを読む

長崎県長崎市 諏訪神社

諏訪神社は弘治元年(1555年)に、
長崎為英が建立した事が起源で、
京都の諏訪神社から分霊を奉祀したという。
※東松浦郡の諏訪神社を勧請した説も。
後に大村純忠長崎イエズス会に寄進し、
長崎がイエズス会領となってしまい、
領内の寺社は全て破壊されており、
諏訪神社も他と同様に破壊されています。
江戸時代続きを読む

長崎県長崎市 浦上街道起点

浦上街道長崎から時津湊に北上する街道。
日見峠を越える長崎街道が整備されるまで、
この街道がメインルートでした。
日本二十六聖人殉教地である西坂より、
浦上村等を経て時津川に沿って時津湊続きを読む

長崎県長崎市 日本二十六聖人殉教地

豊臣秀吉織田信長の政策を継承し、
キリスト教の布教を容認しており、
イエズス会に布教の許可を与えていましたが、
天台宗の僧で医師の施薬院全宗の進言を受け、
バテレン追放令を発布しました。
しかし秀吉は積極的に追放は行わず、
貿易の為に継続してイエズス会を利用。
イエズス会も大々的な布教活動は控え、
ささやかな布教に終始した為。
追放はされる事無く布教も黙任され、
時には支援も行われたようです。… 続きを読む

長崎県大村市 松原宿跡

松原宿長崎街道の19番目の宿場町。
彼杵宿大村宿に挟まれていた為、
規模の小さな宿場であったようで、
本陣脇本陣は指定されてはおらず、
大名行列長崎奉行の一行は、
休憩のみに立ち寄っていたようです。


大村市松原本町周辺。緑の線が街道筋で、
青でぼかした辺りが松原宿跡。… 続きを読む