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宮之城島津家は一所持大身分の家柄で、
宗家15代島津隆久の弟島津尚久を祖とし、
尚久の子島津忠長が宮之城を領し、
江戸時代を通じ宮之城を支配した家。
その菩提寺は宗功寺… 続きを読む
鹿児島県薩摩郡 宮之城島津家墓所①
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宮之城郷は薩摩藩の外城のひとつで、
宮之城島津家が私領として支配し、
御仮屋を中心に麓が形成されていました。
宮之城の地名は文禄4(1595)に、
北郷忠能が入封された際、
旧領都城に因んて改称されたとのこと。
「宮之城御仮屋跡… 続きを読む
昭和27年から37年にかけて、
宮之城町で融和事業及び失業対策事業、
並びに都市計画事業等が計画され、
これに基づいて墓地の整理が行われて、
前岡墓地、秋葉墓地、大道寺墓地、
西ヶ迫墓地… 続きを読む
佐志交流館の脇より山手に行くと、
興全寺墓地があり、
佐志島津家の祖御下姫の墓があります。
「桂樹院殿虚窓従伯菴」。
御下姫の墓。
宗家17代当主島津義弘の次女で、
幼名は千鶴であったとされ、
成長して御下と名乗ったとされますが、… 続きを読む
佐志郷は佐志島津家が領した外城。
佐志島津家の石高は3000石とされ、
御仮屋を中心に麓が形成されていました。
「佐志島津家御仮屋跡」。
佐志島津家の御仮屋跡は、
佐志交流館や佐志小学校のある辺り。
石垣… 続きを読む
曽木の滝は仙台川上流に位置する滝で、
東洋のナイアガラとも称され、
豊臣秀吉も島津征伐の帰路に立ち寄り、
その雄大な景観を楽しんだとされます。
「曽木の滝」。
滝の高さは12m、幅は210mもあり、
変化に富んだ地形に豪快に注ぐ水は、
非常に荒々しく流れています。
「… 続きを読む
出水宿は薩摩街道の宿場町。
平良川と武家屋敷の間に挟まれ、
その御用商人達が集まった場所で、
数軒の旅籠かあったとされています。
和泉市本町周辺。緑の線が街道筋で、
青くぼかし辺りが出水宿跡。
「出水宿跡」。
街道筋は出水麓の… 続きを読む