美祢市」カテゴリーアーカイブ

山口県美祢市 楢崎頼三屋敷跡

飯盛山で自刃した白虎隊の生き残り飯沼貞吉
燃える城下を落城と勘違いして、
少年達は次々と自刃し、
貞吉も咽喉に脇差を突き立てたが死ねず、
それを会津藩士の妻が見つけて介抱し、
貞吉は一命を取り留めます。
後に貞吉は電信技士となって各地に赴任し、
電信電話の発展に貢献しました。

この飯沼貞吉が会津戦争終結後、
敵であった… 続きを読む

山口県美祢市 来嶋又兵衛関連史跡

美祢市南端の厚保町栗の産地として有名で、
栗の木に適した土壌を持ち、
江戸時代後期より栽培されていました。
その大きくて甘い厚保栗は、
現在も盛んに栽培されています。

その厚保にある来島又兵衛関連の史跡。
又兵衛は無給通士喜多村政倫の次男に生まれ、
初名は亀之進といいました。… 続きを読む

山口県美祢市 大田絵堂の戦い史跡④/呑水峠、赤村の戦い

///④

萩政府軍は荻野隊を先頭に、
約500名で長登口より攻撃。
守備していた膺懲隊八幡隊は、
太平堤の土手を盾に防戦。
約5倍の兵力差で諸隊勢は劣勢となりました。… 続きを読む

山口県美祢市 大田絵堂の戦い史跡③/幣振坂の戦い

//③/

金麗社から大田川を上って川上方向へ。
大田川は渓谷に沿って大きく屈曲しています。

道を進むと撰鋒隊士の墓の案内板が・・。


矢印の方向を向くと畑があり、
その向こうに小さなお墓が見える。


撰鋒隊士の墓」。
元治2年1月10日の幣振坂の戦い続きを読む

山口県美祢市 大田絵堂の戦い史跡②/諸隊本陣 光明寺と金麗社

/②//

絵堂から陣を引いた諸隊は、
大田の光明寺を本陣としました。


光明寺」。
はじめはここを本陣としますが、
後に北にある金麗社に転陣。
移転した後も病院としていることから、
前線から離れすぎていた為の転陣でしょう。… 続きを読む