藩主の領内巡視などに使用された御茶屋は、
各地の街道沿いや温泉地に置かれ、
他藩や幕府使節の迎賓にも使用されました。
山口にも当然御茶屋は置かれています。
山口市中川原町周辺(山口御茶屋跡の場所)
御茶屋は亀山の東麓にありました。
「… 続きを読む
山口県山口市 御茶屋跡/山口宰判勘場跡
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藩主の領内巡視などに使用された御茶屋は、
各地の街道沿いや温泉地に置かれ、
他藩や幕府使節の迎賓にも使用されました。
山口にも当然御茶屋は置かれています。
山口市中川原町周辺(山口御茶屋跡の場所)
御茶屋は亀山の東麓にありました。
「… 続きを読む
長州藩は直轄地を宰判という行政区に分け、
代官を置いて行政にあたらせていました。
宰判には勘場と呼ばれた役所が設けられ、
租税徴収、治安維持、裁判等が、
行われています。
「小郡宰判勘場跡/御茶屋跡」。
小郡宰判勘場には御茶屋が併設され、… 続きを読む
山陽小野田市の皿山はその昔、
焼物が盛んに作られていました。
天保末期に周防の焼物師が畑土をみて、
焼物に適していると語ったことから、
前原一誠の父佐世彦七が援助し、
登り窯を開いたのが起源とされます。
焼物業は現在は衰退してしまいましたが、
当時の登り窯が残されています。
「… 続きを読む
郡司家は大内家に仕える砲術の家系で、
大内家が滅びた後は毛利家に仕え、
砲術家五家、鋳造家二家に分れました。
鋳造家二家は防長二州の鋳物師総代を務め、
太平の世には鍋などの生活用品や、
梵鐘… 続きを読む
松陰神社前のバス停の後ろあたりは、
吉田松陰門下の松浦松洞の生まれた場所です。
「松浦松洞誕生之地」。
バス停後ろはちょっとした庭となっていて、
上の写真の誕生之地碑の他、
庭石が置かれ歌碑なども建てられており、
松洞園と名付けられています。… 続きを読む
松陰神社の駐車場の脇に、
薩摩藩士、長州藩士、土佐藩士が集まり、
密議した場所の碑が建っています。
「薩長土連合密儀之處」。
ここは鈴木勘蔵の営む旅宿があった場所で、
文久2年正月14日。
武市瑞山の書簡を携えた… 続きを読む
萩の松陰神社は吉田松陰の実兄杉民治が、
実家の邸内に土蔵造りの祠を建立して、
松陰愛用の赤間硯と松陰の書簡を御神体とし、
その祠に祀ったのがはじまり。
その後、伊藤博文、野村靖ら門下生が、
宮崎八幡… 続きを読む