勘場跡の宇部市船木ふれあいセンターの隣に、
宇部市北部総合支所がありますが、
ここにはかつて全国で3番目に古く、
県下で初の女学校が建てられていました。
「宇部市北部総合支所」。
藩政時代は長谷川家の邸宅があったそうで、
そこの長屋を船木女児小学として開校。
後に女学校は移転した為、
跡地には楠町舎が建てられています。… 続きを読む
「[山口県(下関市除く)]」カテゴリーアーカイブ
山口県宇部市 岡崎八幡宮
岡崎八幡宮は船木の産土神。
船木は神功皇后が三韓征伐の際、
この地に生えていた楠の大木を斬り倒し、
48艘の軍船を造らせたとされ、
この事から船木という地名になったという。
その後、光仁天皇… 続きを読む
山口県宇部市 船木宿跡
宰判勘場跡より南西にある交差点へ。
東西に延びる道が旧山陽道の街道。
宇部市船木周辺。緑の線が街道筋で、
青でぼかした辺りが宿場町。
「船木の街並み」。
街道の宿場町の雰囲気が残る街並み。
切妻造平入および妻入の建物が混在し、
屋根瓦は茶色と黒色が入り混じっています。
「旅人荷付場跡」。
標柱と説明板が設置されています。
船木は山陽道の宿場町として栄え、… 続きを読む
山口県宇部市 船木宰判勘場跡/御茶屋跡
長州藩は直轄地を宰判という行政区に分け、
代官を置いて行政にあたらせていました。
宰判には勘場と呼ばれた役所が設けられ、
租税徴収、治安維持、裁判等が、
行われています。
初期の宰判は厚東郡吉見に置かれましたが、
御茶屋の移設に伴い宰判も船木に移動し、
宰判勘場と御茶屋が併設されました。… 続きを読む
山口県萩市 吉田松陰先生東送通過之地碑
萩と山口の間の国道262号沿いに、
吉田松陰の記念碑があります。
萩市佐々並中作周辺(東送通過之地碑の場所)
日南瀬川沿いに萩往還が通っています。
「吉田松陰先生東送通過之地碑」。
中国JRバス「中作」のバス停側。
安政6年に松陰は梅田雲浜に連座し、… 続きを読む
山口県山口市 常栄寺
井上聞多が総督を務めた鴻城隊は、
長寿寺から常栄寺に本陣を移したとされます。
ただ常栄寺は当時、現在の洞春寺の場所にあり、
藩庁を萩から山口に移転する文久3年に、
移転して現在地にあった妙寿寺と合併。… 続きを読む
山口県山口市 隊中様 宮野政助の墓
明治3年に発生した奇兵隊脱隊騒動では、
藩の軍制改革に不満を持つ諸隊士達が、
山口藩議事館を包囲しましたが、
この騒動に対して木戸孝允は討伐軍を編成し、
武力を持って騒動を鎮圧しています。
騒動の指導的立場の諸隊士ら35名は、
捕らえられて処刑されていますが、
犠牲となった彼らを憐れんだ郷里の人々は、
彼らを[隊中様]と呼んで敬い、
その出身地の各地に墓が建てられました。
今回訪問したのはその中のひとつで、… 続きを読む