大洲鉄然は覚法寺住職大洲雪道の次男で、
右田の大田稲香、柳井の月性に学びました。
後に階位を得る為に西本願寺を訪ねますが、
手数料10両を求められた事に憤慨し、
出奔して堺で剣術道場を開きます。
どこで習得したかわかりませんが、
鉄然は剣、弓、やり、砲術にも長けており、… 続きを読む
山口県大島郡 覚法寺/大洲鉄然墓所
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大洲鉄然は覚法寺住職大洲雪道の次男で、
右田の大田稲香、柳井の月性に学びました。
後に階位を得る為に西本願寺を訪ねますが、
手数料10両を求められた事に憤慨し、
出奔して堺で剣術道場を開きます。
どこで習得したかわかりませんが、
鉄然は剣、弓、やり、砲術にも長けており、… 続きを読む
維新百年公園の程近くに、
楢崎剛十郎顕彰碑があります。
楢崎は第二奇兵隊の参謀でした。
「第二奇兵隊参謀楢崎義綱君碑銘」。
楢崎は久賀村の出身で大野毛利家家臣。
幼児より才知に優れ、読書を好み、
奇兵隊が創設されるとこれに入隊し、
後に第二奇兵隊の書記… 続きを読む
久賀の海岸線沿いに維新百年記念公園があり、
維新関連の記念碑が集められています。
「維新百年公園」。
文字通り維新百年を記念して整備された公園。
久賀村は大島戦争の激戦地で、
幕府軍が上陸して占領、略奪、放火し、
艦砲攻撃によって壊滅的な被害を受けました。… 続きを読む
世良修蔵は東北諸藩に不遜な態度を取り、
[奥州皆敵]と記された密書を書いた為、
これに激怒した仙台藩士に殺害されました。
この事が奥羽越列藩同盟成立に繋がり、
戊辰戦争への引き金となった訳で、
世良は鬼畜のような扱いを受けています。… 続きを読む
山口県南東部に位置する周防大島は、
瀬戸内海に浮かぶ島の中で3番目に大きく、
※1番は淡路島、2番は小豆島。
島内には約1万7000人が暮らしています。
正式名は屋代島というようですが、
そう呼ぶ人は地元には殆どおらず、
[大島]又は[周防大島]と呼ばれ、
自治体名も周防大島町となっています。
「周防大島(屋代島)」。… 続きを読む
長州藩永代家老益田家の領地である須佐に、
益田親施を祀る笠松神社があります。
益田家33代当主親施は尊攘派の家老で、
吉田松陰やその門下とも近く、
京都での尊攘運動にも奔走しました。
禁門の変… 続きを読む
山口県と広島県を隔てる小瀬川。
長州藩(岩国領)と芸州藩の藩境でした。
幕長戦争の芸州口の戦い(芸州戦争)の初戦。
先鋒の彦根藩と与板藩、高田藩… 続きを読む