四日市宿は東海道の43番目の宿場。
古くから港町として栄えていた場所で、
江戸時代には幕府天領となっており、
代官所も置かれていました。
「東海道五十三次之内 四日市」。
歌川広重の東海道五十三次の浮世絵。
強風に葦が靡き合羽の裾が翻す旅人と、… 続きを読む
三重県四日市市 四日市宿跡
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四日市宿は東海道の43番目の宿場。
古くから港町として栄えていた場所で、
江戸時代には幕府天領となっており、
代官所も置かれていました。
「東海道五十三次之内 四日市」。
歌川広重の東海道五十三次の浮世絵。
強風に葦が靡き合羽の裾が翻す旅人と、… 続きを読む
田丸城下は熊野古道伊勢路と、
伊勢本街道の合流地点であり、
参宮の宿場町としても栄えていました。
「はせ街道 熊野街道 追分道標」。
田丸城大手口で2つの街道が合流し、
伊勢神宮へと向かいました。
説明板では大和からの伊勢本街道を、
はせ街道(… 続きを読む
田丸城は南北朝時代に築かれた城で、
北畠親房による築城とされます。
足利尊氏に攻め落とされていますが、
室町時代に再建されており、
北畠政郷の四男顕晴が田丸姓を名乗り、
以後は田丸家の居城としていましたが、
戦国時代の城主田丸直昌が、… 続きを読む
大得寺は玉城町田丸にある浄土宗の寺院。
元々は遠江国周智郡で創建されたお寺で、
久野家の菩提寺となっていましたが、
当主久野宗成が徳川頼宣の家老となって、
田丸城を与えられた事により、
久野家と共に田丸に移転しました。
「山門」。… 続きを読む
松平定良は淀藩当時の松平定綱の次男で、
定綱が大垣藩を経て桑名藩に移った後、
その死去に伴い桑名藩藩主となります。
定良は聡明で信望も厚かったようですが、
生来体が弱くて病気がちだった為、
度々有馬温泉に療養に出かけたという。
そして湯治からの帰路の… 続きを読む
徳川家康の異父弟松平定勝の死後、
2代将軍徳川秀忠の命によって、
定勝の次男松平定行が崇源寺を建立し、
※寺名の由来は定勝の法号崇源院殿による。
定勝の遺骸を埋葬して菩提寺とします。
後に定行は4万石加増で伊予松山藩へ移り、
桑名藩には定行の弟… 続きを読む
鳥羽城は鳥羽湾に突出する樋の山に築城され、
九鬼水軍の本拠地となっていました。
典型的な海城とされており、
面白いのが海側が大手となっており、
陸側が搦手となっているところ。
普通は陸側が大手になるはずですが、
水軍の城だけに海側がメインとなっています。
「… 続きを読む