美濃国は京都にも近い重要な地域で、
織田信長も天下統一の拠点としています。
この重要地に有力大名が出現させない為、
幕府は10万石以下の小藩のみを置き、
美濃国の3割を幕府直轄地としました。… 続きを読む
岐阜県羽島郡 美濃郡代笠松陣屋跡
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美濃国は京都にも近い重要な地域で、
織田信長も天下統一の拠点としています。
この重要地に有力大名が出現させない為、
幕府は10万石以下の小藩のみを置き、
美濃国の3割を幕府直轄地としました。… 続きを読む
お亀の方は美濃斎藤家家臣竹腰正時に嫁ぎ、
竹腰正信を生みますがすぐに正時と死別。
後に豊臣家家臣石川光元の側室となり、
石川光忠を出産していますが、
光元正室の嫉妬により離縁されています。
その後に徳川家康の側室となったようで、
家康の八男仙千代(6歳夭折)と、… 続きを読む
久居藩は津藩の支藩。
津藩2代藩主藤堂高次の隠居の際、
長男藤堂高久に家督を継ぎますが、
次男藤堂高通にも5万石が分与されます。
久居藩は5万石規模の藩ながら、
領内の凶作や江戸藩邸の焼失が相次ぎ、
その財政は永続して破綻状態。
12代藤堂高兌は義倉積米制度… 続きを読む
戦国時代以前の[津]は[安濃津]と呼ばれ、
伊勢国の経済の中心地であったようです。
鎌倉時代以降は長野家が支配していましたが、
織田信長の伊勢侵攻によって織田家領となり、
安濃津城には織田信包が入りました。
信長が本能寺の変… 続きを読む
伊勢亀山城は古くからの豪族関家の居城で、
戦国時代の当主関盛信は織田信長に降り、
信長の三男神戸信孝の配下となります。
しかし信孝とソリが合わなかった為、
近江の日野城に移されていますが、
羽柴秀吉配下の樋口直房… 続きを読む
明治に入って立藩した藩が少なからずあります。
今回訪問した重原藩もそのひとつで、
戊辰戦争に敗れた福島藩板倉家が、
三河国重原に移封されて立藩した藩。
元々重原は福島藩の飛地領地でした。
刈谷駅東側周辺(重原陣屋跡の場所)
「浄福寺」の入口付近。
陣屋跡碑と福島藩領を示す石標が、
建てられています。
「重原陣屋跡… 続きを読む
高須藩は尾張藩の支藩。
尾張藩2代徳川光友の次男松平義行が、
信濃に3万石を分与されて高井藩を立藩し、
後に高須に移って高須城跡に陣屋を建設。
藩主家は参勤交代を行わない定府大名で、… 続きを読む