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伏見は奈良時代より街道が整備され、
水運も発達した交通の要所でした。
平安時代には景勝地であった為、
貴族の別荘地となっており、
近世には豊臣秀吉が伏見城を築城。
江戸時代には初の銀座が設置され、… 続きを読む
京都府京都市 伏見宿跡①
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伏見宮貞成親王は伏見宮栄仁親王の子で、
北朝3代崇光天皇の孫にあたります。
101代称光天皇に嫌われていた為、
親王宣下を受けた後に薙髪に追い込まれ、
道欽入道親王となっていましたが、
第一王子彦仁王が102代天皇に即位し、
後花園天皇となったことにより、… 続きを読む
伏見は京都と大坂を結ぶ交通の要所で、
多くの藩が藩邸を設けていました。
長州藩も伏見藩邸を置いていましたが、
それは豊臣政権時代からのもので、
当初は伏見城下西端にあったようです。
「京都市建設局伏見土木事務所」。… 続きを読む
中書島は四方を川に囲まれた場所で、
※南:宇治川、西:濠川、北/東:宇治川派流。
脇坂安治が中務少輔となり屋敷を建てると、
その役職の唐名[中書]から[中書様]と呼ばれ、
[中書様の住む島… 続きを読む
中書島は四方を川に囲まれた場所で、
※南:宇治川、西:濠川、北/東:宇治川派流。
脇坂安治が中務少輔となり屋敷を建てると、
その役職の唐名[中書]から[中書様]と呼ばれ、
[中書様の住む島… 続きを読む
北小松宿は西近江路の宿場町で、
南の木戸宿から2里8町、
北の河原市宿まで6里半10町の位置。
大津市北小松周辺。緑の線が西近江路で、
青くぼかした辺りが北小松宿。
「北小松宿跡」。
古い家屋が多く残る北小松宿跡。
北小松は大津市の最北部の集落で、
江戸時代初期は幕府直轄地… 続きを読む
河原市宿は古くからの宿駅だったとされ、
その初見は[宋雅道すがら之記]で、
応永34年(1427)に飛鳥井雅縁が、
越前国に赴く際の道中で立ち寄り、
しばらく過ごした旨が記されています。
江戸時代には大溝藩領だったようで、
西近江路の宿駅に指定されますが、
琵琶湖の湖岸から離れていた為、
陸運の要衝となっていました。… 続きを読む