能福寺にある瀧善三郎の碑。
瀧善三郎は神戸事件の責任を負って、
永福寺で切腹した人物で、
その永福寺は空襲により焼失しており、
再建される事はありませんでしたが、
その境内に建てられていた碑を、
後に能福寺に移築させたようです。
「瀧善三郎正信碑」。… 続きを読む
兵庫県神戸市 能福寺/瀧善三郎正信碑
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能福寺にある瀧善三郎の碑。
瀧善三郎は神戸事件の責任を負って、
永福寺で切腹した人物で、
その永福寺は空襲により焼失しており、
再建される事はありませんでしたが、
その境内に建てられていた碑を、
後に能福寺に移築させたようです。
「瀧善三郎正信碑」。… 続きを読む
慶応4年1月11日。
岡山藩は新政府の命による西宮警備の為、
家老日置帯刀に命じて藩兵を向かわせます。
当時の西国街道は外国人居留地に接した為、
幕府は外国人とのイザコザを避ける目的で、
西国往還付替道を設置していましたが、
日置隊は… 続きを読む
総泉寺は米子市愛宕町にある曹洞宗寺院。
米子藩主中村一忠が父中村一氏の慰霊の為、
この地に建立した寺院と伝えられ、
有事の際には出城となるように、
その境内が築かれたともされています。
「本堂」。
本堂等の建物は天保13年(1842)の再建。
総泉寺にはこんな昔話もあります。
昔々… 続きを読む
唐琴の瀬戸は牛窓と前島の間にある海峡。
牛窓は古くから西国航路の寄港地として栄え、
多くの舟が風待ち、潮待ちした場所。
万葉集や山家集にも詠まれており、
[牛窓千軒]と呼ばれた程に繁栄しました。
江戸時代に入ると… 続きを読む
岡山藩筆頭家老伊木家の歴代墓所は、
千力山墓所と長島墓所。
※他に14代が少林寺、15代が東山墓地、
初代と2代は兵庫県三木市にあります。
今回は千力山の墓所に訪問致します。
「興禅寺」。
家祖伊木忠次… 続きを読む
岡山藩筆頭家老伊木家の歴代墓所は、
長島墓地と千力山墓所の二ヶ所。
※他に14代が少林寺、15代が東山墓地、
初代と2代は兵庫県三木市にあります。
千力山の方は伊木家本拠虫明にありますが、
長島墓地は文字通り長島にあります。… 続きを読む
雄町の冷泉は旭川の伏流水が湧出したもので、
貞享3年(1686)に岡山藩2代池田綱政が整備し、
藩主の御用水とされていたようで、
番所や水奉行による監視が行われ、
領民の使用が禁止されていたとされます。
「雄町の冷泉源泉」。
かつて御用水が汲まれていた泉。… 続きを読む