島原藩」タグアーカイブ

高野山奥の院墓地/島原藩松平家墓所

奥の院墓地にある島原藩松平家の墓所。
島原藩の藩主家である深溝松平家は、
松平忠定が三河国額田郡の深溝城主となり、
分家を興したことに始まります。
4代当主松平家忠酒井忠次配下で活躍し、
徳川家康関東移封続きを読む

大分県豊後高田市 高田陣屋跡

島原藩の6万5000石の領地のうち、
2万7500石が豊前国及び豊後国にあり、
[豊州領]と呼ばれた飛地だったようです。
※豊後国国東郡1万4000石と、
 豊前国宇佐群1万3500石。

藩の総石高の4割が[豊州領]にあった事や、
周防灘に面する交通の要所続きを読む

長崎県南島原市 原城跡

吉田松陰九州遊学の際、
原城跡を訪問しています。
原城は島原の乱の籠城戦が行われた城で、
両軍で4万の死者を出す激戦が行われ、
一揆勢の皆殺しで終結した戦いでした。
山鹿流兵学師範であった松陰は、
古戦場を見学する事で、
自らの兵学の糧にしたのでしょう。

島原天草の乱は江戸時代初期の反乱で、
キリシタン弾圧に起因した一揆で、
幕末以前で最後の本格的な内戦でした。
島原藩主松倉勝家続きを読む

長崎県島原市 本光寺/島原藩松平家墓所

本光寺島原藩深溝松平家の領内菩提寺。
初代当主松平忠定は深溝に本光寺を創建し、
深溝松平家の菩提寺としましたが、
転封によって所領は数度変わっており、
歴代藩主の遺骸は所領や江戸から運ばれ、
深溝に本光寺に埋葬されました。

深溝松平家が島原藩に移封後、
初代藩主松平忠房が生母の菩提を弔う為、
当地にあった禅林寺を… 続きを読む

長崎県島原市 しまばら水茶屋

島原半島は農耕地は多いものの、
土地は水捌けが良く大きな川もない為、
稲作には適しない土地柄でした。
この為に僅かに作られた米は、
殆ど年貢として納められたので、
まともな米を農民が口にする事が出来ず、
くず米しか手元に残らなかったという。
農民らはそのくず米を磨り潰し、
にしてこれを固めて食べていましたが、
夏は虫が付いたり腐ったりする為、
団子にして水に浸けて保存しています。… 続きを読む

長崎県島原市 旧島原藩薬園跡

島原藩4代藩主松平忠誠は、
シーボルトの高弟賀来佐一郎を招き、
藩の医学校済衆館の敷地に、
薬園を整備させ薬草を栽培させました。
しかし手狭で栽培条件が良くなかった為、
弘化3年に飯島義角を薬園主任として、
眉山の麓に大規模な薬園を造らせました。… 続きを読む

長崎県島原市 船津/龍馬上陸の地

元治元年2月。
四国連合艦隊下関攻撃を決定した為、
外国側と交渉してこれを回避するべく、
幕府より調停役を命じられた勝海舟は、
総勢47名の大所帯で長崎に向かいます。
この一行に坂本龍馬ら勝の門弟も同行し、
龍馬は初めて長崎を訪れる事になりました。

2月14日に一行は翔鶴丸続きを読む