広島藩家老上田家の初代上田重安は、
茶道に優れ流派を創設する程の茶人。
また多くの戦に参加した歴戦の勇士で、
一番槍の武功を何度も得た強者でした。
その没後は遺言により遺骨が海に流され、
遺髪のみが塚に埋葬されました。
廿日市市沖塩屋にある墓所。
「上田家墓所」。
串山… 続きを読む
広島県廿日市市 上田家串山墓所
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広島藩家老上田家の初代上田重安は、
茶道に優れ流派を創設する程の茶人。
また多くの戦に参加した歴戦の勇士で、
一番槍の武功を何度も得た強者でした。
その没後は遺言により遺骨が海に流され、
遺髪のみが塚に埋葬されました。
廿日市市沖塩屋にある墓所。
「上田家墓所」。
串山… 続きを読む
廿日市宿は西国街道の31番目の宿場町。
廿日市は古くは廿の浦と呼ばれ、
鎌倉時代に厳島神主藤原親実が移住して栄え、
毎月廿日に市が立つようになった為、
廿日市というようになったとのこと。
西国街道の宿場として馬15頭が置かれ、
旅館が建ち並んでいた他、… 続きを読む
浅野家歴代墓所であった菩提寺の国泰寺は、
原爆の爆心地から約500mの位置にあった為、
全ての伽羅が全壊全焼しました。
この為に浅野家墓所は移転する事となり、
初、2~4、6、8~11代藩主が、
牛田町浅野山(神田山)に改葬され、
5、7、12代藩主が、
山手町新庄山に改葬されています。
今回はそのひとつ[新庄山墓地]を訪問。… 続きを読む
広島藩浅野家の藩祖は浅野長政。
※浅野家としては14代。
長政は豊臣政権の五奉行に抜擢され、
豊臣秀吉に絶大な信頼を得ていますが、
徳川家康とも非常に親しい間柄で、
度々囲碁をする仲であったとされます。
更に石田三成とは不仲だったようで、… 続きを読む
海蔵寺は応永年間(1394-1427)に、
唐僧慈眼禅師が力箭山(行者山)に創建。
永正元年(1504)に洞雲寺四世興雲宗繁が、
曹洞宗に改宗したとされます。
「本堂」。
行者山より現在地に移転したのは、… 続きを読む
禅林寺は広島藩家老上田家の菩提寺で、
福島正則が創建した臨済宗の寺院。
原爆によりその全てが焼失しており、
戦後に復興しています。
「本堂」。
福島正則が海国寺五世高厳… 続きを読む
安芸国と周防国の国境を流れる小瀬川。
江戸時代は木野川と呼ばれていた様で、
現在とは違って橋が架けられず、
渡し舟で通行が行われていました。
「木野川渡し場跡」碑。
道路脇に設置された碑と説明板。
これ以外も説明板が多数建てられています。
「木野川渡し場跡… 続きを読む