海田宿は西国街道の19番目の宿場町。
広島宿より東側の1宿目だった為、
送迎客も多く賑やかであったという。
※昔の旅は今生の別れにもなりうる為、
次の宿場まで見送りする事もあった。
海田町中店周辺。緑の線が街道筋で、
青くぼかした辺りが海田宿跡。
西側より散策。
「新町」。… 続きを読む
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広島県広島市 広島宿跡②
広島県広島市 広島宿跡①
広島県広島市 妙頂寺/三原浅野家墓所
妙頂寺は中区十日市町にある日蓮宗寺院。
天文20年(1551)頃に現在の安芸高田市から、
現在地に移転している事から、
毛利家の庇護を受けていた模様。
原爆の爆心地から550mの距離にあり、
伽羅は破壊されてしまったようで、
その後に再建されて現在に至っています。
「本堂」。
鉄筋RC造の本堂。
原爆投下の翌日には妙頂寺の… 続きを読む
東京都港区 広島新田藩上屋敷跡
■広島新田藩■
広島藩5代藩主浅野吉長が、
実弟浅野長賢に蔵米3万石を与え、
広島新田藩として立藩させた藩。
幕末に長州藩の動向を注視した広島藩は、
毛利家所縁の吉田を奪われる風説を恐れ、
新田藩7代浅野長厚… 続きを読む
広島県廿日市市 上田家串山墓所
広島藩家老上田家の初代上田重安は、
茶道に優れ流派を創設する程の茶人。
また多くの戦に参加した歴戦の勇士で、
一番槍の武功を何度も得た強者でした。
その没後は遺言により遺骨が海に流され、
遺髪のみが塚に埋葬されました。
廿日市市沖塩屋にある墓所。
「上田家墓所」。
串山… 続きを読む
広島県廿日市市 廿日市宿跡
廿日市宿は西国街道の31番目の宿場町。
廿日市は古くは廿の浦と呼ばれ、
鎌倉時代に厳島神主藤原親実が移住して栄え、
毎月廿日に市が立つようになった為、
廿日市というようになったとのこと。
西国街道の宿場として馬15頭が置かれ、
旅館が建ち並んでいた他、… 続きを読む




