安國寺本堂横にある衣非茂記の墓所。
「贈従四位衣非茂記直正之碑」。
福岡藩士衣非茂記の墓。
大組士梶原景貫の三男に生まれ、
同衣非直章の婿養子となって家督を相続。
尊攘派の重臣として活動し、
長州征伐の際は両軍の周旋に尽力しました。
しかし藩論が一変すると佐幕派… 続きを読む
福岡県福岡市 安國寺/衣非茂記墓所
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安國寺本堂横にある衣非茂記の墓所。
「贈従四位衣非茂記直正之碑」。
福岡藩士衣非茂記の墓。
大組士梶原景貫の三男に生まれ、
同衣非直章の婿養子となって家督を相続。
尊攘派の重臣として活動し、
長州征伐の際は両軍の周旋に尽力しました。
しかし藩論が一変すると佐幕派… 続きを読む
安國寺本堂横にある建部武彦の墓所。
「建部武彦墓」。
福岡藩士建部武彦の墓。
武彦は福岡藩士建部自福の長男に生まれ、
家督を継いで藩の諸役を勤めました。
元治元年には藩の正史として周旋にあたり、
征長軍と長州藩の間を取り持ち、
三条実美ら五卿… 続きを読む
天神の安國寺にある母里家の墓所。
名槍「日本号」を呑み獲った母里太兵衛友信は、
黒田節でも唄われる黒田家の家臣で、
黒田家の戦いでは常に先鋒として活躍し、
生涯に挙げた首級は76だったとされています。… 続きを読む
安國寺は天神にある曹洞宗の寺院。
暦応2年(1339)に光明天皇(北朝)の勅命により、
国家安康祈願の為に建立されたもの。
元々は豊前国中津にありましたが、
慶長5年(1600)に中津領主黒田長政が、
名島52万3,000石に加増転封となった際、
現在地に移転して庇護を受けました。
「山門… 続きを読む
総泉寺は米子市愛宕町にある曹洞宗寺院。
米子藩主中村一忠が父中村一氏の慰霊の為、
この地に建立した寺院と伝えられ、
有事の際には出城となるように、
その境内が築かれたともされています。
「本堂」。
本堂等の建物は天保13年(1842)の再建。
総泉寺にはこんな昔話もあります。
昔々… 続きを読む