米山寺は三原市沼田東町にある曹洞宗寺院。
小早川氏嫡流の沼田小早川家の菩提寺で、
歴代当主の墓所となっていました。
「本堂」。
仁平3年(1153)に天台宗寺院として壮健され、
嘉禎元年(1235)に小早川家3代小早川茂平が、
念仏堂を建立して氏寺… 続きを読む
広島県三原市 米山寺/小早川家墓所
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米山寺は三原市沼田東町にある曹洞宗寺院。
小早川氏嫡流の沼田小早川家の菩提寺で、
歴代当主の墓所となっていました。
「本堂」。
仁平3年(1153)に天台宗寺院として壮健され、
嘉禎元年(1235)に小早川家3代小早川茂平が、
念仏堂を建立して氏寺… 続きを読む
国学者喜多村信節の随筆「ききのまにまに」。
自身が見聞した事柄を書き留めたもので、
安政以前の事側が記載されていますが、
この中で長府藩12代毛利元運の死について、
噂ながら記載されています。
〇先月廿日、毛利甲斐殿自殺すと云、
※長府藩12代毛利元運。
分部北条みな同じ、… 続きを読む
奥の院墓地にある長府藩毛利家の墓所。
毛利輝元は関ケ原の戦いの敗戦後、
中国地方8ヶ国120万5000石から、
防長2ヶ国に減封されましたが、
分家を興していた毛利秀元も、
その所領17万石を没収されました。
輝元は自領内の東の守りとして、
吉川広家に岩国領3万石を与え、… 続きを読む
奥の院墓地にある長州藩毛利家の墓所。
安芸毛利家は西国の覇者毛利元就を輩出し、
江戸時代には長州藩主として続きました。
「長州藩毛利家墓所」。
玉垣で囲まれた墓所の入口に、
鳥居と石燈籠… 続きを読む
毛利敬親は明治2年に隠居し、
家督を養嫡子毛利元徳に譲りました。
その隠居所として御殿建設が計画され、
建設地を野田に定めて着工されますが、
敬親は明治4年に死去してしまい、
御殿に入居することはありませんでした。
完成した御殿は毛利公別邸となり、
明治天皇の山口行幸の際には、
その宿所としても利用されていますが、
後に御殿は取り壊されています。… 続きを読む