毛利家」タグアーカイブ

山口県防府市 旧毛利家本邸①

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旧毛利家本邸は公爵毛利元昭が、
明治25年に明治天皇から承認を得て、
大正元年着工して4年後に完成した邸宅。
前当主毛利元徳の定めた家憲によって、
公爵毛利家本拠山口県に定められた為、
これに従って… 続きを読む

山口県山口市 野田御殿跡

毛利敬親は明治2年に隠居し、
家督を養嫡子毛利元徳に譲りました。
その隠居所として御殿建設が計画され、
建設地を野田に定めて着工されますが、
敬親は明治4年に死去してしまい、
御殿に入居することはありませんでした。
完成した御殿は毛利公別邸となり、
明治天皇山口行幸の際には、
その宿所としても利用されていますが、
後に御殿は取り壊されています。… 続きを読む

島根県安来市 毛利元秋墓所

毛利元秋毛利元就の五男で、
月山富田城の城将を勤めましたが、
天正13年(1585)に34歳で病死しており、
月山富田城下に埋葬。
元秋の家督は同母弟毛利元康が継ぎ、
この系譜が厚狭毛利家となります。


毛利元秋の墓所は月山冨田城の北東。
周辺の史跡には案内板が多く設置され、
意外と簡単に見つかりました。… 続きを読む

大分県玖珠郡 角牟礼城跡

角牟礼城鎌倉期の弘安年間(1278-1288)に、
玖珠郡衆森朝通により築城された城。
玖珠郡衆は豊後守護大友家の支配下で、
角牟礼城は要衝の城として補強されつつ、
堅固な山城となっています。
天正14年(1586)の島津家豊後侵攻でも、
次々と城が落とされる中で玖珠郡衆が籠城。
島津勢の猛攻にも耐えて落城しませんでした。… 続きを読む

山口県防府市 大楽寺/毛利重就分骨塔

長州藩7代藩主毛利重就は、
困窮していた藩財政を立て直す為に、
数々の藩政改革を断行。
後の幕末期に藩が行動する為の軍資金を、
蓄える基礎を築いた名君とされます。

重就は天明2年(1782)に隠居していますが、
隠居後は三田尻御茶屋で余生を過ごし、
寛政元年(1789)に死去。
遺骸は歴代墓所の… 続きを読む

山口県山口市 興隆寺妙見社

興隆寺推古天皇の時代(593-628)に、
百済より渡来した琳聖太子が建立した寺院。
琳聖太子は百済の王族(聖明王第3王子)で、
周防大内氏の祖とされています。
※諸説あり。
大内氏が隆盛する頃には同様に栄え、
氷上山全域に僧房や堂宇が建ち並びますが、
大内氏滅亡後に毛利家の庇護を得るも、… 続きを読む