青森宿は奥州街道109番目の宿場町。
弘前藩によって青森湊が開かれて発展し、
津軽九浦のひとつとして発展し、
※青森湊、蟹田湊、鯵ヶ沢湊、深浦湊、
十三湊、今別湊… 続きを読む
青森県青森市 青森宿跡
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青森宿は奥州街道109番目の宿場町。
弘前藩によって青森湊が開かれて発展し、
津軽九浦のひとつとして発展し、
※青森湊、蟹田湊、鯵ヶ沢湊、深浦湊、
十三湊、今別湊… 続きを読む
敦賀湊は古来よりの大港でしたが、
江戸時代には日本海沿岸の諸大名の多くが、
上り米や特産品の輸送を敦賀湊経由とし、
また畿内の手工業生産物である下り荷は、
敦賀湊を経由して全国に普及しました。
これらによって敦賀は中継商業が発展し、
問屋… 続きを読む
敦賀は古くから大陸と交流があった港町で、
京都への物資集積拠点として栄えた他、
越前一宮の氣比神宮の門前町として賑わい、
東に木ノ芽道、西に丹後道、
南に塩津海道、そして海路の敦賀湊と、… 続きを読む
古来より北陸の物産は敦賀に集められた後、
琵琶湖の北にある塩津に運ばれて、
そこから丸子船で大津に運搬され、
京都に持ち込まれたという。
塩津の名は塩が運び込まれる港の意で、
重要な塩が運ばれたのは勿論、
その他の物産の多くが運び込まれ、
江戸時代… 続きを読む
芦屋宿は唐津街道の宿場町。
旅籠(平旅籠や飯盛旅籠)や木賃宿が多く、
江戸中期までは賑わっていたようですが、
街道メインが木屋瀬宿経由となってからは、
宿場としての繁栄は少なくなっています。
とはいえ遠賀川の河口に位置した為、
年貢や特産品の積出港として大いに栄え、
裕福な商家が軒を連ねていたという。
芦屋西浜町、幸町周辺。緑の線が街道筋で、… 続きを読む
若松宿は洞海湾の入口に形成された宿場町。
戸畑からは渡し船が出ており、
現在も若松区、戸畑区を結んでいます。
江戸初期から中期までの若松宿は、
唐津藩、福岡藩の参勤交代に使われ、… 続きを読む
長州藩は直轄地を宰判という行政区に分け、
代官を置いて行政にあたらせていました。
宰判には勘場と呼ばれた役所が設けられ、
租税徴収、治安維持、裁判等が、
行われています。
浜崎宰判は御船倉に設置されていますが、
その管轄は近隣の七浦、七島だったという。… 続きを読む