豊原市は三隅川下流域に位置し、
赤間関街道沿いにありましたが、
宿駅機能はなく物資の集散地として賑わい、
川船の港として商家が建ち並んでいました。
「御国廻御行程記 三隅(一部)」。
長門市三隅下周辺。緑の線が街道筋。
青でぼかした辺りが豊原市のあった場所。
「豊原市跡」。
僅か250m程度?の短い道ですが、
ある程度は古い家屋も残っており、
商家を改造したカフェもあります。… 続きを読む
「港町」タグアーカイブ
下関市彦島 福浦
福浦は北前船の寄港地として栄えた港町で、
南風泊と同じく風待ちの為に、
北前船の多くが福浦湾に入ってきて、
大変な賑わいであったという。
現在の福浦町は1~3丁目まであり、
福浦本町と通称される1丁目と、
福浦口交差点西側の2、3丁目とは、
1本道で繋がっているだけとなっています。… 続きを読む
下関市豊浦町 小串浦
小串浦は響灘に面する海岸線に位置し、
川棚川北側の砂浜辺りから、
笠松ノ鼻南麗辺りまでに至る集落。
かつては子牛の産地であった為に、
これが転化して小串になったとされますが、
長崎県西部に小串と川棚が揃うも場所あり、
その関連性も指摘されてはいますが、
理由については判明していないようです。
小串浦は漁村ではあったものの、
赤間関街道北浦道筋の街道筋にも位置し、
市宿も開かれていたようで、… 続きを読む
下関市今浦町周辺 竹崎浦 今浦 伊崎浦
赤間関宿があったのは現在の唐戸周辺ですが、
新地会所、白石正一郎の小倉屋など、
意外と重要な史跡が集まっている下関駅西側。
現在の感覚では不便な位置のようですが、
勿論当時は下関駅はありませんし、
彦島側に伸びる大和町もありませんでした。
下関駅周辺。青い線が当時の海岸線。… 続きを読む
下関市安岡 安岡浦
安岡浦は長府藩領の漁村だった場所で、
名前の由来は神功皇后が岡に登り、
そこで安(休)んだ事に由来します。
古来より漁業が盛んであったようで、
多くの船が浦から出漁していたとされ、
対馬や朝鮮沿岸まで行っていたという。
いつの時代からかは不明ですが、
安岡浦の女性が頭に桶を乗せて、
鮮魚やアワビ、… 続きを読む
島根県益田市 飯浦
飯浦は石見国最西端の漁村集落で、
かつては津和野藩唯一の港でした。
益田市飯浦町周辺。
西は田万村に至る仏峠、
東の海岸線は人形鼻、
南は津和野城に至る傾成峠を控え、
北の日本海を含めて四方が難所でしたが、… 続きを読む
山口県防府市 三田尻湊
三田尻は天然の良港であった為、
周防、長門の二国に減封された毛利家は、
毛利水軍を再編して御船手組とし、
下松を経て三田尻に移住させました。
これによって三田尻は長州藩の軍港となり、
御船倉や御船手組の住居などが整備され、
萩から三田尻を結ぶ… 続きを読む