南九州市知覧にある知覧島津家の墓所。
知覧島津家は旧姓を佐多氏とし、
島津宗家4代当主島津忠宗の三男忠光が、
大隅国肝属郡佐多を与えられ、
佐多忠光を名乗った事に始まります。
後に16代佐多久逵が島津家庶流として、
嫡流のみ島津姓名乗りを許されました。… 続きを読む
鹿児島県南九州市 知覧島津家墓所
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南九州市知覧にある知覧島津家の墓所。
知覧島津家は旧姓を佐多氏とし、
島津宗家4代当主島津忠宗の三男忠光が、
大隅国肝属郡佐多を与えられ、
佐多忠光を名乗った事に始まります。
後に16代佐多久逵が島津家庶流として、
嫡流のみ島津姓名乗りを許されました。… 続きを読む
別府城跡と新城跡の2つの山城跡の谷間に、
薩摩藩外城のひとつ加世田麓がありました。
防御上で有利な地形であった為、
比較的に中央から離れていながら、
重要な拠点であったようです。
島津宗家9代島津忠国は鹿児島を追放され、
加世田を隠居地… 続きを読む
竹田神社の南側に島津尚久の墓があります。
尚久は島津忠良の三男に生まれ、
7歳で初陣を飾った後には、
数々の戦に参加して手柄を立てたとされ、
薩摩の海賊衆(倭寇)を束ねていたという。
「島津尚久墓」。
宮之城島津家初代当主島津尚久の墓。
兄の… 続きを読む
島津中興の祖とされる島津忠良。
宗家14代島津忠兼(勝久)に国政を委任され、
長子の島津貴久を忠兼の養嫡子に譲り、
後に貴久と共に薩摩を統一。
その後も多くの仁政を敷いて国を富ませ、
島津家発展に大きく貢献させました。
「常潤院跡」。
隠居後の忠良は加世田に移り住み、
この地にあった… 続きを読む
島津宗家9代当主島津忠国の墓が、
鹿児島県南さつま市加世田地区にあります。
忠国は次男島津立久に追放され、
晩年は加世田に移住していたようですが、
琉球へ渡ろうと坊津に赴きますが、
渡航前に68歳で死去したという。
「六角堂公園」。
忠国の遺骸は加世田に送られ、… 続きを読む
境川は肥後国と薩摩国の国境の小川。
石造アーチ橋が架けられていますが、
藩政時代には橋は無く、
飛び石伝いに川を渡っていたという。
「境橋」。
明治16年に架けられた石橋。
肥後の石工… 続きを読む
野間之関は薩摩藩の三大関所のひとつで、
※他の二つは去川の関、小川内の関。
その峻厳さで全国に知られたという。
物資の密輸、基督教や一向宗の取締、
藩内の… 続きを読む