新南陽護国神社は永源山に鎮座し、
徳山藩の山崎隊の戦死者を招魂する為、
栄源山招魂場として建立されました。
後に富田招魂社、富田護国神社と改称。
現在は新南陽護国神社となっています。
新南陽市は合併して周南市となっており、
名称も変更されるかもしれませんね。
永源山は総合公園となっており、… 続きを読む
「諸隊」タグアーカイブ
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大島戦争(大島口の戦い)③
大島戦争(大島口の戦い)②
山口県防府市 勝坂砲台跡
三田尻が幕府によって攻め落とされた場合、
萩往還を上って山口は目と鼻の先となります。
もちろん三田尻は軍港ですので、
何が何でも死守せねばならない拠点ですが、
それだけに狙われる可能性がありました。
そこで防府と山口の境に砲台を設置し、
防御の勝坂砲台が建設されます。
防府市下右田周辺(勝坂砲台跡の場所)
三田尻から山口に侵攻する為には、
右田ヶ岳… 続きを読む
山口県萩市 三蔭山神社
三蔭山神社は萩市須佐にある招魂社で、
三蔭山招魂場として建立されました。
三蔭山神社への階段。
他の招魂場と同じく小高い場所にあります。
三蔭山は元々浄土院山と呼ばれており、
招魂場の建立の際に名称を変更されました。
神社を建てる場所が仏教的な浄土院山では、
よろしくないということでしょうか?
「境内」。
ネットで調べたような場所じゃない??
長屋門… 続きを読む
山口県萩市 萩市護国神社
道の駅 萩しーまーと近くの萩市護国神社は、
干城隊、第一大隊及び第四大隊の戦死者を、
招魂した長添山招魂場が前身です。
阿武川より分かれた新川東側の小高い山に、
明治元年に藩によって建立されたもので、
後に… 続きを読む
山口県萩市 常念寺/飯田正伯墓所
飯田正伯は松下村塾の中でも2番目に年長で、
もちろん吉田松陰よりも年上でした。
藩医の家出身の正伯は初め医学を学びますが、
次第に兵学に興味を持ち、
松下村塾に通って山鹿流軍学を学びます。
松陰に師事した期間は約1ヶ月余りと短く、
堅い絆とは言えませんが、
松陰が伝馬町に入獄した際に江戸にいた為、
晋作や尾寺新之丞… 続きを読む