長州藩は直轄地を宰判という行政区に分け、
代官を置いて行政にあたらせていました。
宰判には勘場と呼ばれた役所が設けられ、
租税徴収、治安維持、裁判等が、
行われています。
山代宰判の勘場は慶長17年(1612)に、
本郷に山代宰判勘場が建てられますが、
延享4年(1747)に行政区が2つに分割。
広瀬に前山代宰判勘場が置かれ、… 続きを読む
「長州藩」タグアーカイブ
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山口県防府市 三田尻宰判勘場跡
長州藩は直轄地を宰判という行政区に分け、
代官を置いて行政にあたらせていました。
宰判には勘場と呼ばれた役所が設けられ、
租税徴収、治安維持、裁判等が、
行われています。
勘場は御茶屋東側にあったようで、
代官以下藩役人として下代… 続きを読む
山口県長門市 大寧寺墓地/寄組墓碑②
山口県長門市 大寧寺墓地/寄組墓碑①
山口県長門市 大寧寺墓地/児玉家墓所
大寧寺墓地の長州藩重臣の墓碑のうち、
目立つものが先に紹介した寄組山内家と、
寄組児玉家のものでしょう。
※旧漢字の兒玉が正しいようですが、
墓地表記に従い児玉と記載します。
ただ山内家は一系譜なのに対して、
児玉家は寄組に三家も存在したようで、
人物の特定は非常に困難です。
安芸児玉氏は武蔵七党の… 続きを読む
山口県長門市 大寧寺墓地/寄組山内家墓所
寄組山内家は元々備後の国人で、
守護大名山名氏の守護代を務めましたが、
応仁の乱以降は備後で独自の勢力を伸ばし、
毛利元就が中国地方で勢力を拡大させると、
これに従って毛利家に仕えました。
長州藩が成立した後は寄組士に属し、
領内最西の吉田、埴生5000石を与えられ、… 続きを読む
山口県長門市 大寧寺墓地
長州藩重臣の墓が集まる大寧寺墓地。
何度か訪問してはいますが、
今回はその墓域をゆっくりと踏差しました。
墓碑の数は300基近くあるとされ、
1回では容量的に不可能と思われますので、
家系別に数回に分けて紹介します。
「大寧寺墓地」。
境内の南西側の斜面にある大寧寺墓地。
長州藩の重臣達の墓碑の他、
大寧寺に関係する歴史上の人物らの墓が、
所狭しと立ち並んでいます。
今回は江戸期以前の人物らの墓碑。
「鷲頭弘忠」の墓。… 続きを読む