「萩藩新地会所」の説明板の横に、
「高杉東行療養の地 220m」とあります。
案内に従って細道を進んでみます。
こういう案内は結構迷ったりしますが、
意外に上手な案内がされていました。
あれ?どっちだろう?と思うだろう場所に、
案内板があると非常に助かります。
高架や階段がありますので、
車ではこちらからは行けません。
そして到着。
「高杉東行療養之地」。
小倉戦争の最中に労咳を悪化させた… 続きを読む
「高杉晋作」タグアーカイブ
下関市上新地町 萩藩新地会所跡
高杉晋作は功山寺で挙兵した後、
藩の出先機関である新地会所を襲いました。
その新地会所の跡碑と説明板が、
厳島神社の鳥居の横に設置されています。
「萩藩新地会所址」。
神社の脇にある小さな石標と説明板からは、
その規模がイメージしづらいのですが、
碑のある場所を南東の角として、
下関上新地郵便局や… 続きを読む
宮城彦助 教法寺事件の犠牲者
宮城彦助は長州藩大組士。
和歌を得意とする文人として知られて、
文久3年に中山忠光が長州に赴いたため、
宮城はこの公卿の随従を命じられます。
文人の才を買われたのでしょう。
しかしこの中山忠光。
ただの公卿ではありませんでした。
若く狂信的な攘夷論者で、
雅な公卿ではなかったのです。
気に入らないからと失踪するわ。
真木和泉救出に久留米… 続きを読む
下関市南部町 紅屋跡
下関商工会議所の向かいにある寿公園。
ここに金子みすゞ顕彰碑があります。
「金子みすゞ顕彰碑」。
実は僕は金子みすゞの詩は大嫌い。
好きな人には申し訳ないのですが、
彼女の詩がとても辛気臭く感じられて、
昔からどうしても好になれない。
詩なんて好き嫌いがあるわけで、
僕的には好みではなかっただけですが・・。
幕末期のこの公園あたりには、
料亭紅屋木助(喜八)邸があったようで、
京都… 続きを読む
下関市南部町 馬関越荷方役所跡
下関の東側海岸線は埋め立てられており、
殆ど幕末当時の状況と変わっています。
当時の海岸線は国道に沿ったあたりでした。
下関は埋め立てしか発展する余地はなく、
残念ながら当時の面影は残っていません。
当時の下関は北前船の寄港地であり、
大変な賑わいをみせた場所で、
長州藩の[馬関越荷方役所」が、
下関の南部町に設置されていました。
越荷… 続きを読む
下関市丸山町 つかずの灯篭
高杉晋作陶像のある日和山公園には、
つかずの灯篭という石灯篭があります。
「つかずの灯篭」。
壇之浦に灯台として設置されていたもので、
長府報国隊が桜山神魂場に倣い、
貴船町の旭山に招魂場を造ることになり、
そこに灯篭を設置する事となったので、
この灯篭を運ぶ事になりました。
隊士達は酒を飲みながら運んでいたので、
灯篭を乗せた大八車を、… 続きを読む
下関市竹崎町 白石正一郎旧宅跡
竹崎の商人白石正一郎の小倉屋は、
酒、たばこ、米、お茶の卸や、
質屋、造酒屋も経営した豪商とされています。
しかし実際は長州藩の商いは無く、
孫藩の清末藩の御用商人だったようで、
豪商というほどでもありませんでした。
最も儲かる北前船交易には参加する事が出来ず、… 続きを読む