二条家は五摂家のひとつ。
藤原北家九条家の庶流にあたる公家で、
九条道家の次男二条良実を祖とします。
良実が東二条院に居住した事から、
二条を称したとされており、
仁治3年(1242)に良実が関白となって以降、
五摂家のひとつとして続きました。
戦国時代の当主13代… 続きを読む
京都府京都市 二条邸跡
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二条家は五摂家のひとつ。
藤原北家九条家の庶流にあたる公家で、
九条道家の次男二条良実を祖とします。
良実が東二条院に居住した事から、
二条を称したとされており、
仁治3年(1242)に良実が関白となって以降、
五摂家のひとつとして続きました。
戦国時代の当主13代… 続きを読む
九條家は五摂家のひとつ。
藤原北家九条流嫡流である公家で、
藤原忠通の六男九条兼実を祖とします。
五摂家筆頭の近衛家に次ぐ家格を有し、
その庶流である一条家、二条家も、
九条流の五摂家となっています。
「… 続きを読む
一条家は五摂家のひとつ。
九条道家の四男一条実経を祖とし、
一条室町にその邸宅を持った事から、
一条を家名としたとされます。
道家次男二条良実と共に摂関家となり、
後に五摂家のひとつとして定着。
後陽成天皇の皇子を養子に迎え、
九条流で唯一皇別摂家にもなりますが、
血脈は3代で途絶えており、
鷹司家から養子を迎えました。
「一条邸跡」。… 続きを読む
近衛家は五摂家筆頭の公卿家。
藤原忠通の四男近衛基実を家祖とし、
歴代当主は関白、摂政、太政大臣を務め、
唯一近衛家のみが元服の際、
天皇に直筆で名前を賜っていたという。
「近衛邸跡… 続きを読む
御所の南西角に椋の巨木があります。
この木は樹齢300年とされており、
清水谷家の邸内にあったもの。
この清水谷家は西園寺家(清華家)の一族で、
西園寺公経の二男一条実有を祖とし、
8代一条実秋が摂関家… 続きを読む
文久3年の生野の変に敗れた澤宣嘉は、
田岡俊三郎、森源蔵、高橋甲太郎と脱出。
追手から逃れる為に讃岐や伊予に潜伏し、
その後に長州に渡りました。
長州では阿武郡… 続きを読む
中山神社境内にある中山忠光の墓所。
中山忠光は北浦での逃避行の後、
田耕にある長瀬の渓谷で殺害され、
綾羅木に運ばれて埋められました。
埋葬地には後に墓碑が建てられ、
その霊を慰める為に中山神社が建立。
現在に至っています。
「藤原忠光卿 神靈」。… 続きを読む