吉田松陰」タグアーカイブ

長崎県長崎市 浦上街道起点

浦上街道長崎から時津湊に北上する街道。
日見峠を越える長崎街道が整備されるまで、
この街道がメインルートでした。
日本二十六聖人殉教地である西坂より、
浦上村等を経て時津川に沿って時津湊続きを読む

下関市豊北町 島戸浦

島戸浦角島対岸の本土側にある漁村で、
その名の通り角島への門戸で、
渡船が出ていた場所でした。


島戸漁港」。
小型の漁船が多く碇泊しており、
イサキ等の釣漁を行っている他に、
釣客の瀬渡しもやっています。
遠くに見えるのは角島大橋続きを読む

山口県長門市 野波瀬浦

野波瀬三隅から小山を越え、
海岸に降りた場所にある漁村集落。
青海島に波を遮られた穏やかな海で、
集落は海岸から山手に伸びますが、
土地は狭く住宅は密集しています。


野波瀬漁港」。
第二種に分類される漁港で、
ブリの養殖が行われているようです。


石垣の防波堤」。
先には石灯籠続きを読む

山口県長門市 黄波戸浦

黄波戸は古くからの漁村で、
江戸初期は日置村に属していたようで、
主にの漁を生業としていたという。


黄波戸漁港」。
第二種に分類される中規模の漁港。
釣漁定置網漁が主なようで、
現在の登録漁船は66隻ですが、
その殆どが小型の漁船のようです。… 続きを読む

京都府京都市 吉田松陰拝闕詩碑

京都府立図書館の敷地に、
吉田松陰の詩碑が建てられています。


吉田松陰拝闕詩碑」。
明治41年の松陰五十回忌を記念し、
京都府教育会が建立した詩碑。
松陰が江戸から長崎へ赴く途中、
御所を拝した時の事を詠んだ漢詩です。
 山河襟帯自然城東来無不日憶
 神京今朝盥嗽拝鳳闕野人悲泣不能行
 上林零落非復昔空有山河無変更聞説続きを読む

長崎県南島原市 大江湊

原城跡の南側にある大江漁港
ワカメ養殖の盛んな小さな港ですが、
江戸時代には漁業の他に、
熊本等に船を出していたようです。


大江漁港」。
田町川河口に築港された漁港。
石垣の堤防も残っていますが、
いつの時代のものかわかりません。

嘉永3年に吉田松陰は… 続きを読む

長崎県南島原市 原城跡

吉田松陰九州遊学の際、
原城跡を訪問しています。
原城は島原の乱の籠城戦が行われた城で、
両軍で4万の死者を出す激戦が行われ、
一揆勢の皆殺しで終結した戦いでした。
山鹿流兵学師範であった松陰は、
古戦場を見学する事で、
自らの兵学の糧にしたのでしょう。

島原天草の乱は江戸時代初期の反乱で、
キリシタン弾圧に起因した一揆で、
幕末以前で最後の本格的な内戦でした。
島原藩主松倉勝家続きを読む