津梁院は寛永寺子院の天台宗寺院。
弘前藩3代藩主津軽信義により、
寛永13年(1636)に創建され、
厳有院の別当寺を勤めていたという。
※徳川家綱の霊廟。
「津梁院… 続きを読む
東京都台東区 津梁院/黒石藩津軽家墓所
コメントを残す
津梁院は寛永寺子院の天台宗寺院。
弘前藩3代藩主津軽信義により、
寛永13年(1636)に創建され、
厳有院の別当寺を勤めていたという。
※徳川家綱の霊廟。
「津梁院… 続きを読む
寛永寺は上野にある天台宗関東総本山。
開基は3代将軍徳川家光で、
南光坊天海が開山となっています。
将軍家の祈祷所及び菩提寺で、
6人の将軍の廟所となっており、
3世貫主以降は皇族が務めていた為、
朝廷との繋がりが大変深かったという。… 続きを読む
了法寺は三浦長門守初代当主三浦為春が、
所領の上野山村に建立した寺院。
後に坂田にあった浄土寺跡に移転し、
日蓮宗から天台宗に変わったようです。
三浦長門守家は紀州藩の御附家老で、
初代藩主徳川頼宣の実母… 続きを読む
常信寺は愛媛県松山市にある天台宗の寺院。
持統天皇4年(690)創建の法相宗の寺が、
大同年間(806-809)に真言宗に改宗して、
後に天台宗に再度改宗したという。
※寺号はその度に変わっています。
伊予松山藩初代藩主松平定行が入封すると、
松山城… 続きを読む
養玉院の前身は平安時代創建の三藐院で、
江戸城の築城に際して上野に移転し、
寛永寺山内に寺地を拝領して三明院と改称。
後に対馬府中藩宗家の菩提寺となり、
2代宗義成の正室福姫の院号から、… 続きを読む
如来寺は木食但唱らが造った五智如来像を、
芝高輪に安置して開かれた寺院で、
一丈(約3.3m)の如来像が五躯並ぶ姿は、
江戸の人々から芝大仏と親しまれました。
二度の火災で五智如来像は焼失しますが、
その都度再建されたようで、
江戸の名所として賑わっていたという。
後の明治41年に西大井に移転し、
大正15年に養玉院… 続きを読む
旗本であった高取藩初代藩主植村家政は、
3代将軍徳川家光の許で出世し、
大名となって高取城を与えられ、
2万5000石で高取藩を立藩しています。
山城の高取城は不便であった為、
家政は北側の城下に近い場所に居館を構え、
これを下屋敷としました。… 続きを読む