康順寺は真宗本願寺派の寺院。
親鸞の弟子裕乗による開基で、
寛永年間に当地に移転したようです。
「本堂」。
康順寺は元々半崎道場と称し、
現在地北東の半崎村にありましたが、
領主本多家… 続きを読む
愛知県碧南市 康順寺/本田忠鵬墓所
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康順寺は真宗本願寺派の寺院。
親鸞の弟子裕乗による開基で、
寛永年間に当地に移転したようです。
「本堂」。
康順寺は元々半崎道場と称し、
現在地北東の半崎村にありましたが、
領主本多家… 続きを読む
膳所藩本多家の支流西端本多家は、
膳所藩初代本多康俊の次男本多忠相の系譜。
大坂夏の陣の軍功で1000石を与えられ、
その後も加増を重ね8000石となり、
次代の本多忠将も千石を加増。
その後は9000石で幕末まで続き、
10代領主であった本多忠寛が、
天狗党… 続きを読む
岡崎藩本多平八郎宗家の歴代墓所は、
かつての所領であった姫路の圓教寺や、
浅草にあった誓願寺などにあり、
所領の岡崎にはありませんが、
4代本多忠考の墓のみ源空寺にあります。
「源空寺」。… 続きを読む
龍泉寺は附家老越前府中本多家の菩提寺。
応安元年(1368)に守護藤原義晴が創建し、
開山の通幻禅師の遺命により、
各地に散った弟子達が輪番制で住職を務め、
これが江戸時代中期まで続きます。
※この輪番制で福井を訪れた住職らは、
大本山である永平寺も参拝しますが、… 続きを読む
御附家老は将軍家一族が大名となる際、
将軍家の譜代家臣より付けられる家老で、
藩主教育、藩の運営、幕府との調整を行い、
藩政を担う重要なポジションなのですが、
直参から陪臣へと家格が下がる為、
実に割を食う役割といえます。
この役割を担う為には使命感… 続きを読む
本多神社は膳所藩藩主らを祀る神社で、
明治16年に旧膳所藩士らが建立した神社。
境内は藩主の隠居所であった浜御殿の跡で、
広大な大名庭園を有した御殿でした。
「本多神社」。
祭神は初代藩主本多康俊と2代本多俊次… 続きを読む
膳所城の初代城主である戸田一西は、
戸田家菩提寺として円通寺を開きましたが、
次代の戸田氏鉄が尼崎藩に移封されると、
円通寺は戸田家と共に尼崎に移転します。
代わって膳所藩に入封した本多康俊は、
移転した円通寺の境内を縁心寺… 続きを読む