①/②
つづき。
「頓悟院殿従五位下前越州太守
圓山維鏡大居士」。
10代藩主新庄直候の墓。
8代新庄直祐の次男として生まれ、
兄の9代新庄直隆の養子となります。
直隆の隠居によって家督を相続し、
17年の治世の後に死去しました。
「高節院殿従五位下前駿州太守… 続きを読む
東京都文京区 吉祥寺/麻生藩新庄家墓所②
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吉祥寺にある壬生藩鳥居家の墓所。
徳川家康の家臣鳥居元忠は、
徳川十六神将の一人にも数えられ、
本多忠勝らと共に旗本先手役の将となり、
姉川の戦い、三方ヶ原の戦い等で奮戦。
天正壬午の乱では1万の北条勢を、… 続きを読む
吉祥寺にある福江藩五島家の墓所。
五島家の前身の宇久氏の出自は諸説あり、
一説には平清盛の弟平家盛が、
壇ノ浦の戦い後に宇久島へ逃れ、
宇久次郎と名乗ったとされています。
とはいえ家盛は若くして病死しており、
これについては伝承の域を出ません。… 続きを読む
龍光寺は文京区本駒込にある臨済宗寺院。
伊勢龍光寺25世虎伯大宣が幕命で出府し、
小笠原忠知や京極高和ら幕閣が開基となり、
寛永9年(1632)に創建されました。
都内唯一の臨済宗東福寺派寺院とのこと。
「本堂」。
本堂… 続きを読む
高林寺にある天童藩織田家の墓所。
織田信長の次男織田信雄は、
隠居する際に小幡領2万石と、
宇陀領3万石の所領のうち、
小幡領を四男織田信良に相続させます。
こうして2万石で小幡藩が立藩しますが、
信雄は死ぬまで宇陀3万石を手放さず、… 続きを読む
高林寺にある岡田藩伊東家の墓所。
「伊東家祖先之墓」。
側面に雲山宗徳庵士、東山高天居士、
潔窓玄清大姉と刻まれており、
初代伊東長次、2代伊東長昌、
長次正室… 続きを読む