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つづき。
「正四位下行左近衛権少将兼筑前守
菅原朝臣光高之墓」。
3代前田光高の墓。
2代前田利常の長男として生まれ、
父の隠居によって家督を相続し、
弟2人に富山藩、大聖寺藩を分与。… 続きを読む
石川県金沢市 加賀藩前田家墓所②
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島原のキリシタン大名有馬晴信は、
関ケ原の戦いでは東軍に属しており、
4万石の所領を安堵されました。
慶長13年(1608)貿易していたマカオにて、
家臣がポルトガル軍に殺害された為、
晴信は徳川家康より報復の許可を得て、
長崎でポルトガル船を沈没させます。… 続きを読む
曹洞宗の宗祖道元は比叡山延暦寺に入門。
本覚思想に疑問を持って比叡山を去り、
臨済宗の建仁寺に入門します。
しかし建仁寺でも道元の疑問は解けず、
師の明全らと共に宗へ渡って天童寺に入門。… 続きを読む
福井藩5代及び7代藩主松平昌親(吉品)は、
支藩吉井藩の藩主でしたが、
兄で4代藩主の松平光通が継嗣なく自刃し、
その遺言によって福井藩主となっています。
しかしながらこの藩主就任は、
幕府裁定によって遺言が重視されたもので、
昌親や光通の兄松平昌勝を推す派閥や、
光通の庶子松平直堅を推す派閥には、… 続きを読む
福井藩越前松平家の菩提寺である大安寺は、
田谷寺という大寺院の跡に創建され、
殆どの建物を創建当時のまま残しています。
田谷寺は48の坊舎を持つ大寺院でしたが、
織田信長の越前侵攻で全て焼失してしまい、
その後80余年放置されていたという。
この跡地に4代松平光通が大安寺を創建し、
越前松平家の永代菩提所としています。
開山の大愚禅師は… 続きを読む
若狭国守護武田元光の築いた後瀬山城。
その山麓に水堀を配した守護館が建てられ、
長らく若狭国の本拠地となっていました。
その後に京極高次が若狭国主に任じられ、
小浜城が築城された事により役目を終え、
次代京極忠高がその跡地に泰雲寺を建立。… 続きを読む