金沢といえば加賀藩前田家のお膝元ですが、
武蔵国にも金沢という地名があり、
その場所に藩庁を置く藩がありました。
※前田家は金沢藩というよりは、
加賀藩という方が主流ですね。
一般的な地名はかぶってしまので、
意外と同名の藩というのは結構あります
※備中松山藩/伊予松山藩、
三河吉田藩/伊予吉田藩など。
武蔵国の金沢藩は武州金沢藩と呼ばれ、
譜代大名米倉家… 続きを読む
神奈川県横浜市 六浦陣屋跡
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金沢といえば加賀藩前田家のお膝元ですが、
武蔵国にも金沢という地名があり、
その場所に藩庁を置く藩がありました。
※前田家は金沢藩というよりは、
加賀藩という方が主流ですね。
一般的な地名はかぶってしまので、
意外と同名の藩というのは結構あります
※備中松山藩/伊予松山藩、
三河吉田藩/伊予吉田藩など。
武蔵国の金沢藩は武州金沢藩と呼ばれ、
譜代大名米倉家… 続きを読む
丹波亀山城は明智光秀が丹波攻めの際、
その拠点として築いた城で、
この丹波亀山城の築城によって、
現在の亀岡が始まったとされています。
※本来は丹波亀山城ではなく亀山城ですが、
伊勢亀山城との混同を避ける為に、
文中では丹波亀山城に統一しています。
光秀は本能寺の変で羽柴秀吉に討たれ、
羽柴秀勝が城主となりましたが、
秀勝は早逝してしまい、… 続きを読む
郡山藩は柳沢家15万石の近畿の雄藩。
戦国時代は筒井順慶の所領であり、
その後は豊臣秀長、増田長盛が入り、
関ヶ原後は筒井定慶に与えられました。
大坂夏の陣の前哨戦… 続きを読む
小泉藩は片桐且元の弟片桐貞隆を祖とし、
江戸時代を通じて片桐家が治めています。
2代片桐貞昌は茶人桑山宗仙に茶道を学び、
石州流茶道の祖として知られ、
将軍徳川家綱の茶道指南役となっており、
また8代片桐貞信も茶人として高名でした。… 続きを読む
増上寺での4代将軍徳川家綱法要の席で、
鳥羽藩の藩主内藤忠勝が乱心し、
宮津藩藩主永井尚長を殺害。
※増上寺刃傷事件。
この事件で下手人の忠勝は切腹となり、
鳥羽内藤家は改易… 続きを読む
豊臣秀吉子飼いの[賤ヶ岳の七本槍]。
加藤清正52万石、
福島正則49万8000石、
加藤嘉明43万5000石と、
後に大大名に出世した3人と、
中大名となった脇坂安治と片桐且元、
大名になれなかった… 続きを読む
大坂城を退去した織田有楽斎は、
京都に隠遁して茶の湯に専念しますが、
自らの所領であった3万石のうち、
2万石を四男織田長政に、
1万石を五男織田尚長に分与しました。
そのうち四男長政の系譜は、
芝村藩として江戸時代を通じて継続。
※五男尚長の系譜も柳本藩として継続。
「桜井市立織田小学校」。… 続きを読む