小学校に石碑がある事は珍しい事ではない。
陣屋や城の跡地が少学校となった例もあり、
陣屋跡碑や城跡碑があったりする。
また地元の偉人の顕彰碑も建っているので、
何度も学校を訪問したりしています。
しかしながらお墓が学校にあるというのは、
非常に珍しいのではないでしょうか?… 続きを読む
「諸隊」タグアーカイブ
山口県山口市 真田四郎の墓
JR上嘉川駅の北東側の山側に、
真田四郎という人物の墓があります。
どうしても世代的に真田四郎と聞くと、
宇宙戦艦ヤマトを思い出しますが、
こちらは真田士郎ですので、
そちらとは関係は全く無いでしょう。
この真田四郎という人物は、
窪田真吉という本名の土佐出身の志士で、
魚屋の行商の息子であったようです。
生まれつき恵まれた偉丈夫で、
岩ヶ嶽の四股名も持っていたという。
後に家業を継いで行商に励みつつ、… 続きを読む
下関市赤間町 本行寺
本行寺は赤間町にある法華宗の寺院。
大本山本能寺12世日承上人が、
天文21年(1552)に種子島へ巡錫した帰途、
赤間関に立ち寄ったとされ、
これに随行していた日圓上人は、
日承上人の命で布教の為に留まり、
元亀2(1571)年に本行寺を創建しています。
「本堂… 続きを読む
和歌山県和歌山市 法福寺/北畠道龍墓所
法福寺は和歌山市和歌浦にある寺で、
宗派は真宗本願寺派。
この寺院の幕末期の住職北畑道龍は、
僧侶ながら民兵集団法福寺隊を組織し、
和歌山藩兵と共に活躍。
維新後は北畠講法学舎を設立する等、
教法家、教育者として活躍しました。
「… 続きを読む
下関市吉田 東行庵/脱走隊士の墓
奇兵隊顕彰墓地にある脱走隊士の墓碑。
慶応2年4月17日。
倉敷浅尾騒動に加わろうと陣営を脱走し、
捕らえられて翌日切腹させられた隊士ら。
「波多野十吉墓(左)」、
「山本龍之進墓(左2)」、
「有田恒太郎墓(右)」。
※右から2番目は不明。
倉敷浅尾騒動は第二奇兵隊脱走隊士らが、
倉敷代官所… 続きを読む
下関市吉田 東行庵/福田侠平の墓
高杉晋作の墓の隣は妻雅子の墓ではなく、
奇兵隊軍監福田侠平の墓となっています。
これは福田の遺言に沿ったものですが、
隣とはいえ10m程離されました。
後に隣に奥方の墓が建てられるように、
わざわざ開けられたと推測しますが、
雅子らの累代墓は少し離れて建てられた為、
微妙に離れた晋作と福田の墓だけが、
広いスペースに並んでいます。
「福田公明墓」。
福田は長州藩士十川権右衛門… 続きを読む
下関市吉田 東行庵/奇兵隊顕彰墓地
久しぶりの東行庵。
梅の花も開いて香っていました。
毎度晋作の墓にはお参りしていますが、
今回はそれ以外の墓について触れてみます。
「司馬遼太郎文学碑」。
何を思ってかゆきちゃんが腰掛けたので、
司馬遼太郎文学碑と共に一枚。
紀行文[街道を行く]の一節とのこと。… 続きを読む