宰判勘場跡より南西にある交差点へ。
東西に延びる道が旧山陽道の街道。
宇部市船木周辺。緑の線が街道筋で、
青でぼかした辺りが宿場町。
「船木の街並み」。
街道の宿場町の雰囲気が残る街並み。
切妻造平入および妻入の建物が混在し、
屋根瓦は茶色と黒色が入り混じっています。
「旅人荷付場跡」。
標柱と説明板が設置されています。
船木は山陽道の宿場町として栄え、… 続きを読む
山口県宇部市 船木宿跡
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宰判勘場跡より南西にある交差点へ。
東西に延びる道が旧山陽道の街道。
宇部市船木周辺。緑の線が街道筋で、
青でぼかした辺りが宿場町。
「船木の街並み」。
街道の宿場町の雰囲気が残る街並み。
切妻造平入および妻入の建物が混在し、
屋根瓦は茶色と黒色が入り混じっています。
「旅人荷付場跡」。
標柱と説明板が設置されています。
船木は山陽道の宿場町として栄え、… 続きを読む
長州藩は直轄地を宰判という行政区に分け、
代官を置いて行政にあたらせていました。
宰判には勘場と呼ばれた役所が設けられ、
租税徴収、治安維持、裁判等が、
行われています。
初期の宰判は厚東郡吉見に置かれましたが、
御茶屋の移設に伴い宰判も船木に移動し、
宰判勘場と御茶屋が併設されました。… 続きを読む
藩主の領内巡視などに使用された御茶屋は、
各地の街道沿いや温泉地に置かれ、
他藩や幕府使節の迎賓にも使用されました。
山口にも当然御茶屋は置かれています。
山口市中川原町周辺(山口御茶屋跡の場所)
御茶屋は亀山の東麓にありました。
「… 続きを読む
長州藩は直轄地を宰判という行政区に分け、
代官を置いて行政にあたらせていました。
宰判には勘場と呼ばれた役所が設けられ、
租税徴収、治安維持、裁判等が、
行われています。
「小郡宰判勘場跡/御茶屋跡」。
小郡宰判勘場には御茶屋が併設され、… 続きを読む
江戸時代の中之島や土佐堀南岸には、
諸藩の蔵屋敷が建ち並んでおり、
各地の米や物産が集められています。
大坂は天下の台所として賑わっており、
全国諸藩の蔵屋敷の数は、
最大で124軒にも及んだという。
大坂市中之島周辺(長州藩蔵屋敷跡の場所)
赤線が長州藩蔵屋敷のあった場所。… 続きを読む
郡司家は大内家に仕える砲術の家系で、
大内家が滅びた後は毛利家に仕え、
砲術家五家、鋳造家二家に分れました。
鋳造家二家は防長二州の鋳物師総代を務め、
太平の世には鍋などの生活用品や、
梵鐘… 続きを読む
松陰神社前のバス停の後ろあたりは、
吉田松陰門下の松浦松洞の生まれた場所です。
「松浦松洞誕生之地」。
バス停後ろはちょっとした庭となっていて、
上の写真の誕生之地碑の他、
庭石が置かれ歌碑なども建てられており、
松洞園と名付けられています。… 続きを読む