山口市の亀山公園には、
長州藩主毛利敬親の銅像があります。
「毛利敬親公之像」。
以前も訪れたことがあるのですが、
山口県山口市 亀山公園~敬親と井上と周布
綺麗に整備されたらしいので再訪しました。
亀山公園は亀山山頂を平地にした公園で、
その中央に毛利敬親の銅像が置かれています。
実はここには敬親の銅像だけでなく、
四支藩藩主の銅像が建てられていたようで、
広場を長州藩領に見立てて、
それぞれの領地に該当する場所に、… 続きを読む
「長州藩」タグアーカイブ
山口県山口市 山口政事堂跡
長州藩の藩庁は萩の指月城でしたが、
幕末期に攘夷決行に備え海に面する萩から、
領地の中心の山口に藩庁が移されました。
萩を藩庁としたのは幕府の指示であり、
勿論勝手に藩庁を移すことも、
城を新たに造る事も許されませんので、
幕府にはちゃんと申告しています。
幕府への長州藩の申告によると、
萩は下関や… 続きを読む
長州藩の異国船討ち払い
長州藩は下関で外国船砲撃を行っており、
これは一般的にも知られる事件ですが、
その137年前の享保11年(1726)に、
須佐湾に侵入した外国船に対して、
その討ち払いを行っています。
永代家老益田家の領地須佐湾に唐船が現れ、
これに対して攻撃を加えて沈めた事件で、
当時の一隻の唐船さえ難儀していたのに、
西洋の黒船… 続きを読む
下関市清末 清末陣屋跡
清末に用があったので清末陣屋跡に再訪。
市内とはいえ行動範囲とは外れていますし、
これといった遺構があるわけでもない。
なかなか訪問する機会も無いのですが、
気が向いたのでちょっと行ってみました。
清末藩は唯一の孫藩という立場にある藩。
長州藩の支藩長府藩のさらに支藩で、
長州藩を親とすれば孫のような立場でした。
全国の他の支藩が分家を作り、
1万石以上を与えた例はありましたが、
幕府に認められたのは清末藩だけ。
※幕府… 続きを読む
山口県山口市 三文字屋跡
十朋亭維新館の隣に整備された庭があり、
三文字屋跡の碑が建てられています。
「三文字屋跡」。
三文字屋は和紙問屋。
長州の和紙は防長三白(四白)のひとつとして、
藩に奨励された産業のひとつです。
長州和紙は当時全国シェア30%を誇っており、
徳地和紙や山代和紙は品質が良かったとか。
三文字屋は和紙元締めであったようで、
当主は名字帯刀も許されています。… 続きを読む
小早川家の復興
毛利元就の両川吉川元春と小早川隆景。
嫡男毛利隆元を補佐し、
中国制覇に大きく貢献しており、
一般的に三本の矢の教えで知られるように、
隆元とその次代毛利輝元を盛り立てました。
吉川元春は戦上手として知られ、
その戦跡は76戦64勝。… 続きを読む
群馬県館林市 館林城跡
館林藩は榊原康政により立藩された譜代藩。
康政は徳川四天王のひとりで、
[無]の旗印を用い数々の戦で戦功を挙げ、
小牧長久手の戦いでは、
羽柴秀次の軍勢を壊滅に追い込み、
森長可、池田恒興を討ち取っています。… 続きを読む