吉田松陰の浦賀行②

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つづき。

6月6日
早起きして加茂井に至り海を望む。
陸から十町程離れた場所に、
賊艦が四隻停泊している。
お互いの距離は皆5町程で、
そのうち二隻が蒸気船
Susquehanna(サスケハナ)、
 Mississippi
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吉田松陰の浦賀行①

①//

吉田松陰ペリー浦賀に来航した際、
浦賀に赴いて見物しました。
今回はこれを追ってみようと思います。

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6月4日、晴。
渡邊春汀を訪ねるが不在。
※渡邊春汀は杵築藩の蘭医。続きを読む

下関市秋根本町 乃美大方墓所

新下関駅北東側にある普賢寺の納骨堂前に、
乃美大方の墓があります。
毛利元就継室(又は側室)だった女性で、
元就の正室であった妙玖の死後に嫁ぎ、
穂井田元清(長府毛利家の祖)、
天野元政続きを読む

東京都台東区 谷中霊園/相馬大作之碑

写真を整理していましたら、
[相馬大作之碑]の写真が見つかりました。
前回(だいぶ前ですが)谷中霊園を訪問した際、
記事とするのを忘れていたようなので、
遅ればせながら記事にします。


相馬大作之碑」。
谷中霊園の桜通り沿いにある碑。
この通りは元々は天王寺の参道で、
多くの招魂碑続きを読む

吉田松陰の三月二十七日夜の記⑥

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つづく。

その事の敗れの本を尋ぬれば、
櫓ぐひなき計りにてかくなりゆけり。
因って思ふ。左傳某の役の敗を記して、
鯵絓りて止まるとやらあり。
大軍の敗もかかる小事に因ることなり。… 続きを読む

吉田松陰の三月二十七日夜の記⑤

////⑤/
つづく。

夜は暗し、道は知れず、
大いに困迫する間に夜は明けぬ。
海岸を見廻れども我が舟みえず。
※夜は暗く道は判らず、
 大いに困っている間に夜は明け、
 海岸を見渡しても我が舟は見つからない。

因って相謀りて曰く[事がここに至れば、
奈何ともすべからず、
うろつく間に縛せられては見苦し
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