山陽小野田市」カテゴリーアーカイブ

山口県山陽小野田市 勘場屋敷

山陽小野田市西高泊に勘場屋敷があります。
高泊開作事業の際に建てられた役宅で、
船木代官楊井三之允が起居したという。
勘場は業務を行う場所ですので、
正確には勘場ではなく代官役宅なのですが、
役宅で業務も行っていたのでしょうし、
他に勘場があった形跡はない。
なので勘場兼役宅が正しいのかもです。


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山口県山陽小野田市 高泊開作五挺唐樋

高泊開作高泊湾を干拓したもので、
寛文8年(1668)の汐止めによって完成。
400町歩の規模をもつ大規模の開作(干拓)で、
長州藩当職毛利就方(阿川毛利3代)が発起し、
船木代官楊井春勝が工事を監督しました。
※享保19年(1734)時の高泊開作は、
 4449石余もあったという。



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山口県山陽小野田市 厚狭毛利家居館跡

厚狭毛利家長州藩一門家老家のひとつで、
毛利元就の八男末次元康を祖とします。
関ヶ原後に宗家が防長二国に減封された後、
長門国厚狭郡周辺を与えられており、
厚狭毛利家と呼ばれるようになりました。


元康の跡を継いだ2代当主毛利元宣は、
厚狭郡末益村に居館を構えており、… 続きを読む

山口県山陽小野田市 厚狭宿跡

厚狭宿西国街道の宿場で、
船木宿吉田宿の間にありました。


御国廻御行程記 厚狭」。
厚狭川の東側に市が開かれ、
宿場としても賑わっていたようです。


JR厚狭駅東側周辺。緑の線が街道筋。
青でぼかした辺りが厚狭宿跡。


寝太郎之像」。… 続きを読む

山口県山陽小野田市 前原一誠旧宅址

山陽小野田市皿山はその昔、
焼物が盛んに作られていました。
天保末期周防の焼物師が畑土をみて、
焼物に適していると語ったことから、
前原一誠の父佐世彦七が援助し、
登り窯を開いたのが起源とされます。
焼物業は現在は衰退してしまいましたが、
当時の登り窯が残されています。


「… 続きを読む