[山口県下関市]」カテゴリーアーカイブ

下関市豊田町 毛利秀包夫人引地君の墓

小早川元包の正室で元鎮の母である引地君は、
豊後の戦国大名大友宗麟の末娘。
父同様に洗礼を受けたキリシタンで、
洗礼名はマセンシアであったという。
久留米城主となった小早川秀包に嫁ぎ、
秀包もその影響を受けて洗礼。
久留米城下に天主堂続きを読む

下関市豊田町 舜青寺/浮石義民の墓

浮石村は長府藩筆頭家老である椙杜家領。
宝永5年(1708)の旱魃で被害を受け、
村民は減祖を役人に願い出ますが、
聞き入れられずに困窮に喘いでいました。

その翌年は天候に恵まれて豊作となり、
村民が喜んだのも束の間で、
役人は逆に年貢二割増を命じます。
村民はたまりかねて一揆を計画しますが、
庄屋らがこれをなだめて善後策を検討。

江戸続きを読む

下関市豊田町 毛利元鎮墓所

一門家吉敷毛利家初代当主毛利元鎮は、
小早川秀包の嫡男に生まれますが、
秀包は関ヶ原の戦い西軍に属した為、
久留米13万石を改易されてしまいます。

秀包は元鎮らを連れて長州藩を頼り、
新たに知行地を与えられていますが、
その際に小早川姓を捨てて毛利姓に復帰。
しかし秀包はその翌年に病死してしまい、… 続きを読む

下関市豊浦町 小野小町の墓

虚無僧墓のお堂の裏手に、
小野小町の墓とされるものがあります。
彼女の墓は全国各地に存在し、
どの墓が本物かは不明。

小野小町平安時代前期の女流歌人で、
古今和歌集六歌仙にも選ばれる才女ですが、
その出自は詳しくわかっていないという。
絶世の美女であった事が伝えられており、
老いて美貌が失われていく事に耐えられず、
晩年は続きを読む

下関市豊浦町 虚無僧墓

川棚川を遡った上流付近に虚無僧墓があります。
天保年間頃に一人の虚無僧が住み着いて、
尺八を吹く以外は酒ばかり飲んでいたという。
そんな虚無僧を村人達は敬遠していましたが、
ある日、村娘が山賊に襲われた際には、
その虚無僧が奮起して娘を無事に救い出し、
村人に感謝されたようです。
ところが後の弘化3年(1846)9月15日の朝、
頭を抱えて唸っていた虚無僧は、
川棚川の河原に走り出したかと思うと、
大きな岩に頭を二度三度ぶつけて倒れ、… 続きを読む