[山口県下関市]」カテゴリーアーカイブ

下関市壇之浦町 立石稲荷大明神

屋島の合戦で敗れた平家は西へ敗走し、
彦島を最後の拠点にしますが、
現在の立石稲荷大明神がある辺りで、
軍船が沈没してしまいます。
この軍船には京都の伏見稲荷大社から、
平家が勧請したご神体が乗っていたとされ、
この地に祠を建立して祀ったという。


立石稲荷大明神」。… 続きを読む

下関市みもすそ川町 壇ノ浦砲台跡

長州藩は来たるべき攘夷戦争に備え、
壇ノ浦から櫛崎の間に砲台を配置。
その中心的なものが前田砲台ですが、
海峡の最も狭い壇ノ浦にも、
壇ノ浦砲台が配置されています。


八十斤加農砲(レプリカ)」。
海峡に向かって並ぶ… 続きを読む

下関市みもすそ川町 御裳川

関門橋の袂にあるみもすそ川公園
長州砲のレプリカや源義経平知盛の銅像、
流れの早い海峡を行きかう無数の船。
下関観光の目玉のひとつとされていますが、
観光客が必ず思う事として、
みもすそ川ってどこ?」の疑問。
あるHPではこれは二位の尼続きを読む

下関市豊田町 毛利秀包夫人引地君の墓

小早川元包の正室で元鎮の母である引地君は、
豊後の戦国大名大友宗麟の末娘。
父同様に洗礼を受けたキリシタンで、
洗礼名はマセンシアであったという。
久留米城主となった小早川秀包に嫁ぎ、
秀包もその影響を受けて洗礼。
久留米城下に天主堂続きを読む

下関市豊田町 舜青寺/浮石義民の墓

浮石村は長府藩筆頭家老である椙杜家領。
宝永5年(1708)の旱魃で被害を受け、
村民は減祖を役人に願い出ますが、
聞き入れられずに困窮に喘いでいました。

その翌年は天候に恵まれて豊作となり、
村民が喜んだのも束の間で、
役人は逆に年貢二割増を命じます。
村民はたまりかねて一揆を計画しますが、
庄屋らがこれをなだめて善後策を検討。

江戸続きを読む