元和8年(1622)頃に初代岩国領主吉川広家は、
通津に隠居して如兼と称して余生を過ごし、
茶の湯を楽しんだとされます。
如兼は[櫻井戸]と呼ばれた井戸の水と、
京都御所の[柳の水]を比較したとされ、
どちらも遜色ない水であったという。
如兼が広島藩家老… 続きを読む
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山口県岩国市 洞泉寺/岩国藩吉川家墓所③
広島県山県郡 吉川元春館跡及び墓所
吉川元春は毛利元就の次男で、
生涯76無敗の戦績を残しており、
戦国最強武将のひとりに挙げられます。
安芸の名門吉川家を相続し、
弟の小早川隆景と共に毛利家を支え、
毛利両川の一角として山陰地方を担当。
その子孫は… 続きを読む
山口県岩国市 洞泉寺/岩国藩吉川家墓所②
山口県岩国市 洞泉寺/岩国藩吉川家墓所①
山口県岩国市 錦帯橋
錦帯橋は岩国の錦川に架かる有名な橋で、
世界的にも珍しい木造アーチ構造の橋。
吉川家が岩国の領主となってから、
錦川には何度も橋が架けられましたが、
洪水で何度も橋は流れていた為、
3代領主吉川広嘉がこれを憂い、
洪水に耐えられる橋の建設を計画。
明の帰化僧独立性易から杭州西湖の橋が、
橋脚を石垣にしているという情報から、
家臣の児玉九郎右衛門に設計させ、… 続きを読む
山口県岩国市 岩国城跡
下関市からは岩国市は遠くに感じられます。
県内と思われるでしょうが、
下関―岩国間は高速で2時間強。
ちょっとした旅行になってしまうのですが、
同じ県内という事で旅行とも言い辛い。
さらに40km先の広島ならば、
ある程度の旅行って感じなんですけどね。
たぶん岩国市の人も同じなんじゃないかな?
そんな近くて遠い岩国市に行ってきました。
「錦帯橋」。
錦川… 続きを読む