幕長戦争」タグアーカイブ

山口県柳井市 白井素行墓所

熊毛郡平生町宇佐木の墓地に、
奇兵隊軍監白井素行の墓所があります。


従五位白井素行墓」。
白井素行は寄組浦家家臣白井弥蔵の長男で、
幕末期は白井小助と称していました。
江戸藩邸で吉田松陰と起居を共にし、
それ以降親しく交友していたとされます。
松陰が… 続きを読む

山口県大島郡 残兵斬首跡

慶応2年6月に起こった大島戦争において、
一時幕府軍周防大島を占領しますが、
丙寅丸の奇襲や上陸作戦での勝利により、
幕府軍は撤退して周防大島は奪還されます。

長州勢は敗残の松山藩兵を捕らえますが、
そのうち士分14名が斬首に処され、
その首が晒し首続きを読む

山口県大島郡 大島宰判勘場跡

長州藩は直轄地を宰判という行政区に分け、
代官を置いて行政にあたらせていました。
宰判には勘場と呼ばれた役所が設けられ、
租税徴収、治安維持、
裁判等が行われています。

大島宰判勘場上関宰判管轄の一部を除き、
大島郡のほぼ全域を支配していました。


大島宰判勘場跡(久賀農協会館)」。… 続きを読む

山口県岩国市 籌勝院

籌勝院は岩国市小瀬にある曹洞宗寺院。
湯原八幡宮の社坊だったようで、
慶長元年(1596)に吉川家家老香川春継が、
小瀬村を与えられて領主となった際に、
ここを実父香川光景の位牌所とし、
喜本院と称させたのが始まり。
春継もその子香川家景続きを読む

福岡県北九州市 須佐神社/狸山古戦場跡

慶応2年8月1日。
長州藩との戦いで不利となった小倉藩は、
小倉城を自焼させ香春に撤退しました。
家老島村志津摩は藩兵を再編し、
金辺峠狸山に防衛拠点を置いて、
勢いに乗る長州藩兵を迎撃。
金辺峠は総司令官である島村が守り、
狸山には同じく家老の小宮民部続きを読む

下関市豊北町 阿川八幡宮

豊北町阿川にある阿川八幡宮
創建は鎌倉時代弘長年間とされ、
阿川の開発と共に創建されたようで、
領主の阿川氏三家大友家
そして阿川毛利家の崇敬を受けました。


阿川八幡宮」。… 続きを読む

山口県山口市 龍福寺/天花爆発遭難者墓所

慶応3年3月17日。
天花に置かれた長州藩火薬庫が爆発し、
作業に従事した16人が爆死しました。
朝四ッ半時(午前11頃)に爆発して炎上し、
九ッ時(正午頃)に鎮火したという。
施設は水車等を含め全て焼失したようです。

その犠牲者16人の墓が、
龍福寺の墓地に現存しています。

山門」。
龍福寺は建永年間(1206‐1207)の創建で、… 続きを読む