深江宿は唐津街道の宿場町。
唐津藩、幕府、中津藩と支配が移り、
中津藩領となってからは代官所が置かれ、
怡土郡の中津領24村の年貢米2万石が、
集められた後に船で運ばれたようで、
宿場だけでなく物資集積地としても、
賑わいを魅せていたようです。… 続きを読む
福岡県糸島市 深江宿跡
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深江宿は唐津街道の宿場町。
唐津藩、幕府、中津藩と支配が移り、
中津藩領となってからは代官所が置かれ、
怡土郡の中津領24村の年貢米2万石が、
集められた後に船で運ばれたようで、
宿場だけでなく物資集積地としても、
賑わいを魅せていたようです。… 続きを読む
浜崎宿は唐津街道の宿場町。
虹の松原の東に位置していますが、
唐津藩領ではなく対馬府中藩領で、
鳥栖の田代代官所がこれを支配し、
出張所として役所が設置されていました。
※役所の場所はよく判りません。
浜玉町浜崎周辺。緑の線が唐津街道で、
青くぼかした辺りが浜崎宿跡。
東側より散策。… 続きを読む
佐賀県立唐津商業高校の南西方向の御岳山に、
水野家唐津藩3代藩主水野忠光の墓があります。
忠光は天保の改革の主導者水野忠邦の父で、
隠居後の文化11年(1814)に江戸で死去。
遺骸は歴代墓所である結城万松寺に埋葬され、
遺言によって唐津に[衣剣]が埋葬されました。… 続きを読む
毛利家の防長移封後、
重臣桂能登家は桂家の嫡流で、
小野村を知行地として拝領し、
長州藩の寄組士として続きました。
同家は毛利元就の忠臣桂元澄の後、
桂元延、… 続きを読む
毛利時親は鎌倉末期~南北朝時代の武将で、
毛利宗家3代当主で安芸毛利氏の祖。
越後佐橋荘南条と安芸吉田荘の地頭となり、
河内国の邸宅に住んでいたようですが、
南北朝の争乱で安芸国に下向し、
安芸国で毛利家の勢力を拡大させました。… 続きを読む