西向寺は東郷町松崎にある浄土宗寺院。
慶長元年(1596)に創建されたようですが、
享保5年(1720)頃には衰退していたという。
この状況を10世誠誉が憂いて、
領主の和田家4代和田昭信を祀った為、
以降は和田家より庇護を受けています。
「本堂」。
和田家の庇護を受けて間もなく、
寺は失火で… 続きを読む
鳥取県東伯郡 西向寺/和田家墓所
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西向寺は東郷町松崎にある浄土宗寺院。
慶長元年(1596)に創建されたようですが、
享保5年(1720)頃には衰退していたという。
この状況を10世誠誉が憂いて、
領主の和田家4代和田昭信を祀った為、
以降は和田家より庇護を受けています。
「本堂」。
和田家の庇護を受けて間もなく、
寺は失火で… 続きを読む
由良宿は山陰街道の宿場町。
宿場の他に由良川の河運の拠点であった為、
藩蔵が13棟も設置されていたようで、
流域の年貢米が集められていました。
北栄町由良宿周辺。緑の線が街道筋で、
青くぼかした辺りが由良宿跡。
「由良宿跡」。
由良宿内には多くの店舗が軒を連ね、… 続きを読む
體玄寺は八橋にある臨済宗寺院。
中村一忠が米子に入封した際に、
駿河国の領地内にあった慶久寺を、
八橋城の南に移転させています。
中村家が改易となると市橋長勝が入り、
矢橋藩… 続きを読む
八橋宿は山陰街道の宿場町。
高比売命が当地に下向した際、
暗雲が立ち込め八匹の大蛇が現れたとされ、
まるで八つの橋のように見えたという。
高比売命が素戔嗚尊に加勢を念じると、
その八匹の大蛇は瞬く間に消失。
あたりは青天となったとのこと。
この故事から[八橋… 続きを読む
赤碕宿は山陰街道の宿場町。
良港であった赤碕湊は鳥取藩に重要視され、
領内六大湊に数えられていたようで、
※他は境湊、米子湊、浦富湊、賀露湊、… 続きを読む
赤碕台場は鳥取藩が設置させた台場跡。
文久3年に造営されたもので、
珍しい西洋式の半円形の台場でした。
「赤碕台場跡」。
赤碕台場跡は良好な状態で残っていましたが、
昭和33年より開始された国道9号線の工事で、
残土の捨て場となって埋められています。… 続きを読む
下市宿は山陰街道の宿場町。
汗入郡と八橋郡の郡境に近かった為、
軍事的に重要な場所であった事から、
下市城が築かれていました。
戦国時代には吉川元春の所領となっており、
家臣の森脇若狭守にこの地を守らせ、
次代吉川広家… 続きを読む