石川県」カテゴリーアーカイブ

石川県金沢市 開禅寺/長家墓所

開禅寺は金沢市野町にある曹洞宗の寺院。
寛正元年(1460)に越中国守山に建立され、
慶長4年(1599)に金沢に移転したという。
加賀八家のひとつ長家の外護を受け、
長家の位牌寺として新保に移転し、
三間道を経て現在地に移転しています。


本堂」。… 続きを読む

石川県七尾市 所口一本杉通り

現在の七尾市街は昔より所口と呼ばれ、
古来よりがあって栄えていたという。
七尾の名称は七尾城に由来し、
城地に7つの尾根があった為に、
七尾城と名付けられたようです。
前田利家能登一国を拝領されると、
難攻不落の… 続きを読む

石川県七尾市 東嶺寺/長家墓所

長家は能登国穴水の国人で、
室町時代より能登畠山家の家臣となり、
19代長続連畠山七人衆の一人として、
能登畠山家中随一の勢力を誇りました。
しかし上杉謙信の能登侵攻が始まると、
七尾城に籠城して一度は撃退しますが、
二度目には親上杉派の遊佐続光続きを読む

石川県輪島市 総持寺祖院

永平寺と並ぶ曹洞宗の大本山総持寺は、
700年前の元亨元年(1321)に、
瑩山紹瑾禅師によって開創されました。
翌年には後醍醐天皇の綸旨を下され、
[曹洞賜紫出世第一之道場]となり、
曹洞宗の大本山となって隆盛。
永平寺と地位や諸権利を争うものの、
幕府によって共に大本山に定められます。

その後の明治31年に全山を焼失した為、
神奈川県横浜市に移転しました。… 続きを読む

石川県輪島市 天領黒島

慶長10年(1605)に加賀藩2代前田利長は、
隠居して富山城に移りますが、
富山城の近くに土方雄久の領地があった為、
幕府の許可を得て領地交換を持ち掛け、
能登の一部が土方領となりました。
その後、土方家は4代続きますが、
4代土方雄隆お家騒動で改易となり、… 続きを読む

石川県金沢市 金沢城鼠多門

金沢城に新しい門と橋が復元されたようなので、
金沢訪問の最後に行ってみました。

今回復元された鼠多門は、
金沢城西側にある玉泉院丸に位置し、
鼠多門橋で繋がれた金谷出丸への出入口。
※金谷丸は現在の尾山神社境内。
鼠多門は櫓門形式の城門で、
正確な創建年代は不明ですが、
江戸時代前期には既に存在していたようです。
宝暦9年の大火でも焼失を免れ、… 続きを読む

石川県金沢市 大乘寺/加賀本多家墓所

加賀藩家臣の最高位の人持組頭8家は、
いずれも万石以上の禄高を有しており、
他藩でいう永代家老家にあたります。
この8家は加賀八家と呼ばれており、
本多家長家横山家前田土佐守家
前田対馬守家続きを読む