山形藩筆頭家老水野三郎右衛門元宣は、
藩主不在の山形藩をまとめ、
山形藩を奥羽越列藩同盟に加盟させました。
秋田戦争で新政府軍と戦い、
敗戦後は自ら首謀者としてその責を背負い、
新政府軍によって処刑されました。
列藩同盟への参加、新政府軍への降伏、
そして自ら責任を負って処刑された事など、
三郎右衛門による適切な判断の結果、
山形城下は結果的に戦火を免れています。
これは三郎右衛門の功績であると、
郷土の恩人… 続きを読む
「[東北地方]」カテゴリーアーカイブ
山形県山形市 山形城跡
山形藩は失脚した大名の左遷藩と呼ばれ、
非常に不名誉な印象を受けている藩。
確かに藩主家は12回も代わっており、
その理由も失脚によるものが多いようです。
とはいえかつての最上家の本拠地であり、
嫌われる要素がある訳ではありませんが、
表高と実高の差が大きかったようですので、
大名の… 続きを読む
山形県天童市 吉田大八関連史跡
吉田大八守隆は江戸家老吉田守寛の長男で、
15歳で家督を継ぎ、大目付、武具奉行、
藩校養正館督学等の要職を経て中老に昇格。
天童藩は慢性的財政難に苦しんでおり、
藩士は貧窮にあえいでいたという。
大八は救済策として将棋駒の製作を提案。… 続きを読む
山形県天童市 天童陣屋跡
織田信長は本能寺の変で明智光秀に討たれ、
嫡男織田信忠も二条城で自刃します。
光秀は羽柴秀吉に討たれますが、
織田宗家の家督は清須会議で話し合われ、
秀吉の推す信忠の嫡男三法師… 続きを読む
山形県東根市 長瀞陣屋跡
長瀞には鎌倉時代築城の長瀞城があり、
西根氏によって築かれたと伝わります。
室町時代には最上家の支城となり、
支城や当主隠居城として使われましたが、
江戸時代には一国一城令で廃城となり、
長瀞が天領となった際に、
城跡に出張陣屋が建てられたという。
後に加増されて大名となった… 続きを読む
青森県東津軽郡 吉田松陰 乗船の場
吉田松陰と宮部鼎蔵は東北遊学の際、
津軽半島の外周を廻って平舘台場を見学し、
二矢村で漁舟に乗って青森へ向かっています。
「吉田松陰 乗船の場」。
2人が乗船したという地に、
比較的新しい看板が設置されています。
実は松陰の書いた二矢村はありません。
ここより南に行くと… 続きを読む
青森県東津軽郡 平舘台場跡
弘化4年。平舘にオランダ船が現れ、
食料が欲しいと村人に伝えて、
ぬか漬け大根を貰って帰っています。
翌日には米が欲しいとやって来ますが、
村人は無いと言って断りました。
4日後には少し南の野田に上陸して、
また米が欲しいと言ってきましたが、
村人は生大根と酒… 続きを読む