東禅寺は盛岡藩南部家の墓所のひとつ。
南部宗家27代であり、
初代盛岡藩主の南部利直の墓があり、
その他4人の藩主の墓所でもあります。
「東禅寺」。
山号は大宝山で妙什和尚開山の寺。
13代南部守行が戦死した際、… 続きを読む
岩手県盛岡市 東禅寺/盛岡藩南部家墓所
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東禅寺は盛岡藩南部家の墓所のひとつ。
南部宗家27代であり、
初代盛岡藩主の南部利直の墓があり、
その他4人の藩主の墓所でもあります。
「東禅寺」。
山号は大宝山で妙什和尚開山の寺。
13代南部守行が戦死した際、… 続きを読む
奥羽越列藩同盟の奮起を即す為、
雲井龍雄は[討薩檄]を起草しました。
多くの檄文の中でも素晴らしい名文とされ、
その檄は同盟軍将兵を鼓舞したという。
その雲井の旧宅跡に碑が建てられています。
「憂国志士雲井龍雄遺蹟」碑。
雲井は米沢藩士中島惣右衛の次男に生まれ、
叔父小島才助の婿養子となり… 続きを読む
吉田松陰と宮部鼎蔵は、
東北遊学の際に米沢を訪れており、
その滞在を記念した碑が、
旧粡町に建てられています。
※旧粡町は現在の米沢市中央7丁目付近。
「吉田松陰旅宿の地」碑。
3月25日。七ヶ宿の… 続きを読む
上山は温泉宿場町として古くから栄え、
領主の最上家はお家騒動で改易されて、
能見松平家が4万石で入封。
次いで蒲生忠知、土岐頼行、
金森頼時と領主は代わり、
藤井松平宗家の松平信通が入って以降、… 続きを読む
国分寺は聖武天皇が国家鎮護の為に、
国司や郡司に詔を発して建立させた寺院。
時代が過ぎて律令体制が弛緩してくると、
官の援助を受けられずに、
多くの国分寺は荒廃しましたが、
独自に宗派や性質を変えた例も多くあり、
現在もまだ存続し続ける国分寺もあります。
出羽国分寺は別所にあったようですが、
具体的な場所は不明で、… 続きを読む