タイトルに玉琁寺と書きましたが、
琁という字は正確にはさんずい(氵)で、
おうへん(⺩)ではないのですが、
PCでは漢字変換が出来ませんので、
文中は玉琁寺に統一させて頂きます。
久居藩の歴代墓所は寒松院にありますが、
2代及び3代のみ玉琁寺に墓があります。
「山門」。… 続きを読む
「三重県」カテゴリーアーカイブ
コメントを残す
三重県津市 寒松院/久居藩藤堂家墓所
寒松院には久居藩藤堂家の墓所もあります。
「勝光院殿松月龍吟大居士」。
初代藩主藤堂高通の墓。
津藩2代藩主藤堂高次の次男に生まれ、
3代藩主で兄の高久より5万石を分与され、
久居藩を立藩しました。
この久居藩は無着改易に備える為の藩で、
基本的に津藩の慣習を踏襲しており、… 続きを読む
三重県津市 寒松院/津藩藤堂家墓所②
三重県津市 寒松院/津藩藤堂家墓所①
三重県津市 久居陣屋跡
久居藩は津藩の支藩。
津藩2代藩主藤堂高次の隠居の際、
長男藤堂高久に家督を継ぎますが、
次男藤堂高通にも5万石が分与されます。
久居藩は5万石規模の藩ながら、
領内の凶作や江戸藩邸の焼失が相次ぎ、
その財政は永続して破綻状態。
12代藤堂高兌は義倉積米制度… 続きを読む
三重県津市 津城跡
戦国時代以前の[津]は[安濃津]と呼ばれ、
伊勢国の経済の中心地であったようです。
鎌倉時代以降は長野家が支配していましたが、
織田信長の伊勢侵攻によって織田家領となり、
安濃津城には織田信包が入りました。
信長が本能寺の変… 続きを読む
三重県亀山市 伊勢亀山城跡
伊勢亀山城は古くからの豪族関家の居城で、
戦国時代の当主関盛信は織田信長に降り、
信長の三男神戸信孝の配下となります。
しかし信孝とソリが合わなかった為、
近江の日野城に移されていますが、
羽柴秀吉配下の樋口直房… 続きを読む