福山は日向や大隅と鹿児島城下の中継地で、
流通の要所として栄えた場所。
平地の下場と台地の上場に地形が分かれ、
下場は米の集積地として蔵が立並び、
上場は… 続きを読む
「【史跡訪問】」カテゴリーアーカイブ
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鹿児島県霧島市 島津忠将供養塔
島津忠将は相州島津家4代当主で、
垂水島津家の初代当主でもあります。
武勇に優れた人物だったようで、
兄で宗家15代当主島津貴久を補佐。
多くの戦いで武功を挙げており、
大隅肝付家や日向伊東家の抑えとして、
要衝であった清水城の城主に就任し、
両家の動向に睨みを効かせていました。
永禄4年(1561)に肝付家が… 続きを読む
鹿児島県鹿屋市 市成御仮屋跡
市成は曽於郡南東部に位置する地で、
市成島津家1000石の私領。
その居館として御仮屋が建てられ、
支配地の行政を担っていました。
「市成御仮屋跡(正覚寺)」。
市成御仮屋跡は正覚寺の境内。
国道504号線沿いに石垣が残りますが、
訪問時は時間が悪かったのか、
何故か交通量が多くて写真が撮れず。
上の写真は脇にある保育園の入口です。… 続きを読む
鹿児島県鹿屋市 市成島津家墓所
瑞慶庵は輝北町市成にあった寺院で、
市成島津家の菩提寺であったという。
最初はは両足寺と称していたようで、
後に瑞慶庵と改称したようです。
源姓土岐氏末裔が大隅国敷根村に移住し、
敷根姓を称して豪族となり、
後に島津家の家臣となっていましたが、
15代当主敷根頼元は男子なく戦死。… 続きを読む
鹿児島県垂水市 安徳天皇陵
元暦2年/寿永4年(1185)の壇ノ浦の戦いで、
源氏と平家は最後の戦いを行い、
平家は滅亡して海の藻屑となっています。
敗北が決定的となった際に二位尼は、
※平清盛の継室で安徳天皇の外祖母。
宝剣と神璽を抱えて入水。
按察使局伊勢が… 続きを読む
鹿児島県垂水市 垂水島津家墓所②
①/②
つづき。
「量泰院殿寛應静山大禪伯(右)」、
「蓮池院殿殿即心成大姉(左)」。
9代当主島津貴儔の墓と、
9代貴儔の奥方の墓。
薩摩藩4代藩主島津吉貴の三男に生まれ、
垂水島津家8代島津忠直の婿養子となります。… 続きを読む