つづき。
①/②
旧リンガー住宅のさらに南側へ進む。
「旧オルト住宅」。
英国商人ウィリアム・ジョン・オルトの旧宅。
オルトは安政年間に長崎に来日したとされ、
大浦慶と共に九州一円から茶葉を買い集め、
海岸沿いの製茶所で製茶して輸出しました。
オルトは明治3年に帰国しており、
この住宅は隣のフレデリック・リンガー… 続きを読む
大浦天主堂は元治2年建立の日本最古の教会。
正式名は日本二十六聖殉教者天主堂。
文久2年。
横浜滞在の仏人司祭フューレが長崎に赴任し、
司祭館と外国人用の教会堂の建築を準備。
この年は慶長元年に殉教した日本二十六聖人が、
ローマ教皇ピオ9世により列聖されており、
文久3年にはプティジャン神父も着任し、… 続きを読む
島原藩4代藩主松平忠誠は、
シーボルトの高弟賀来佐一郎を招き、
藩の医学校済衆館の敷地に、
薬園を整備させ薬草を栽培させました。
しかし手狭で栽培条件が良くなかった為、
弘化3年に飯島義角を薬園主任として、
眉山の麓に大規模な薬園を造らせました。… 続きを読む
元治元年2月。
四国連合艦隊が下関攻撃を決定した為、
外国側と交渉してこれを回避するべく、
幕府より調停役を命じられた勝海舟は、
総勢47名の大所帯で長崎に向かいます。
この一行に坂本龍馬ら勝の門弟も同行し、
龍馬は初めて長崎を訪れる事になりました。
2月14日に一行は翔鶴丸… 続きを読む
吉田松陰は九州への遊学中、
島原城下に立ち寄っています。
「吉田松陰来訪の地」。
島原藩士宮川度右衛門邸跡。
宮川は種子島流荻野派の砲術師範で、
この辺りは鉄砲町と呼ばれたようですが、… 続きを読む