山口県出身の総理大臣は8人。
初代総理大臣伊藤博文より、
令和4年に凶弾に倒れた安倍晋三まで、
全国最多の人数が知られます。
※出生地別では東京都がトップ。
これには色々と批判もありますが、
戦前はある意味仕方ないところです。
維新の雄である筈の鹿児島県は、
総理大臣3人と少ないのですが、… 続きを読む
山口県山口市 寺内正毅墓所
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山口県出身の総理大臣は8人。
初代総理大臣伊藤博文より、
令和4年に凶弾に倒れた安倍晋三まで、
全国最多の人数が知られます。
※出生地別では東京都がトップ。
これには色々と批判もありますが、
戦前はある意味仕方ないところです。
維新の雄である筈の鹿児島県は、
総理大臣3人と少ないのですが、… 続きを読む
法明院は平安時代創建の古刹で、
元は長徳寺という天台宗寺院でしたが、
後に荒廃して戦国期に九江滋淵が再興。
曹洞宗の寺院となっています。
「法明院」。
本堂… 続きを読む
俊龍寺の本堂裏にある柳澤家歴代墓所。
長州藩寄組柳澤家の初代当主柳沢元政は、
12代将軍足利義晴、13代足利義輝、
15代足利義昭に仕えた足利幕府の幕臣で、
義昭が織田信長に追放されると、
これに追従して… 続きを読む
俊龍寺は大内家家臣弘中氏の菩提寺で、
献珠院や延楽寺と呼ばれたようですが、
大内氏滅亡後に荒廃していたという。
その後に毛利家家臣柳澤元政が再興し、
毛利輝元の命で足利将軍らや、… 続きを読む
高杉晋作はその死の直前に、
両親の為に山口に屋敷を建てたとされ、
父高杉小忠太ら両親や兄弟、
妻の雅や長男高杉東一が越して来て、
明治10年まで住んでいたという。
「高杉小忠太邸跡」。
山口市白石一丁目にある高杉邸跡。
現在は取り壊されて別の住宅が建っており、
道筋以外に面影はありません。… 続きを読む
問田益田家は永代家老須佐益田家の分家で、
宗家20代益田元祥の次男益田景祥を祖とし、
周防国吉敷郡問田を本拠としました。
藩内では寄組に属していましたが、
4000石を越える所領を持つ家は、
問田益田家を含め5家のみとのこと。
※他は堅田家… 続きを読む
第一次長州征伐で長州藩は窮地となり、
これによって俗論党政権が誕生すると、
周布政之助は罷免されてしまいます。
その頃周布は吉富家に滞在していましたが、
その意気消沈ぶりはすさまじく、
何度も自裁を口にしていたという。
吉富家の主人吉富藤兵衛(簡一)は、
周布が早まらないように注意し、
刃物を隠したり監視したりしていましたが、
周布は隠し持った短刀で自刃。… 続きを読む