浮野宿は西国街道の半宿。
富海宿と宮市宿の中継地として、
人足や馬が用意されていました。
「御国廻御行程記 牟礼(一部)」。
浮野宿は四丁五間(約450m)と短く、
そこに45軒の家屋が建っていたという。
防府市江泊町周辺。緑の線が街道筋で、
青でぼかした辺りが浮野宿のあった場所。… 続きを読む
山口県防府市 浮野宿跡
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浮野宿は西国街道の半宿。
富海宿と宮市宿の中継地として、
人足や馬が用意されていました。
「御国廻御行程記 牟礼(一部)」。
浮野宿は四丁五間(約450m)と短く、
そこに45軒の家屋が建っていたという。
防府市江泊町周辺。緑の線が街道筋で、
青でぼかした辺りが浮野宿のあった場所。… 続きを読む
周南市戸田市東の西国街道沿いに、
戊辰戦争凱旋記念碑が建っています。
「戊辰戦争凱旋記念碑」。
奥州に出征した寄組堅田家の家臣らが、
無事凱旋出来たのは氏神様のお陰と、
これを感謝して建立したもので、
凱旋した23名の名が刻まれています。
「宮島様」。
凱旋記念碑の向かいにある祠で、… 続きを読む
兒玉家の墓所へ行く道すがらにある、
広く取られた大野家の墓所。
初めて兒玉家墓所を訪れた人は、
これが兒玉源太郎の墓かと勘違いする程、
立派な墓碑が建てられています。
「大野家墓所」。
徳山藩士あった大野家の墓所ですが、
江戸期の当主の墓は見当たりません。
大野家は野島村上家の家老家の分家で、
徳山藩に仕官して続いた家系でした。… 続きを読む
日清戦争の英雄兒玉源太郎は、
徳山藩の出身として知られていますが、
その墓所は青山霊園となっており、
後に多磨霊園に改葬されました。
そして故郷の徳山には遺髪が送られ、
兒玉家の墓所に遺髪墓が建立され、
累世墓や兄夫婦の墓と共に並んでいます。
「… 続きを読む
織田信長の命を受けた羽柴秀吉は、
大軍を率いて中国地方へ侵攻。
播磨、但馬、因幡を平定した後、
備前、備中にも進出した為、
毛利家は境目七城を防衛線とし、
※… 続きを読む