[山口県下関市]」カテゴリーアーカイブ

下関市吉田 東行庵/高杉家の墓

高杉晋作福田侠平の墓の間には、
10m程度の空間があり、
充分に奥方の墓が建てられますが、
晋作の妻雅子達の累代の墓は、
晋作の墓から離れて建っています。


高杉家累代之墓」。
晋作の妻雅子、息子の東一、東一妻茂子
東一長女暢子続きを読む

下関市吉田 東行庵/福田侠平の墓

高杉晋作の墓の隣は妻雅子の墓ではなく、
奇兵隊軍監福田侠平の墓となっています。
これは福田の遺言に沿ったものですが、
隣とはいえ10m程離されました。
後に隣に奥方の墓が建てられるように、
わざわざ開けられたと推測しますが、
雅子らの累代墓は少し離れて建てられた為、
微妙に離れた晋作と福田の墓だけが、
広いスペースに並んでいます。


福田公明墓」。
福田は長州藩士十川権右衛門続きを読む

下関市吉田 東行庵/奇兵隊顕彰墓地

久しぶりの東行庵
梅の花も開いて香っていました。
毎度晋作の墓にはお参りしていますが、
今回はそれ以外の墓について触れてみます。


司馬遼太郎文学碑」。
何を思ってかゆきちゃんが腰掛けたので、
司馬遼太郎文学碑と共に一枚。
紀行文[街道を行く]の一節とのこと。… 続きを読む

下関市中之町 引接寺/小早川隆景墓所

伊藤助太夫(久三)の墓を探し、
引接寺を訪れたのは7年前。
結局は助太夫の墓はそこには無く、
空月庵跡という別の場所にありましたが、
下関市本町 空月庵跡/本陣伊藤家墓所
江戸中期の伊藤家当主の墓や、
奈良屋入江和作の墓は見つけました。
下関市中之町 引接寺/伊藤家 入江家墓所
今回は7年ぶりに訪問し、
小早川隆景の分骨墓に参ります。


本堂続きを読む

下関市豊北町 島戸浦

島戸浦角島対岸の本土側にある漁村で、
その名の通り角島への門戸で、
渡船が出ていた場所でした。


島戸漁港」。
小型の漁船が多く碇泊しており、
イサキ等の釣漁を行っている他に、
釣客の瀬渡しもやっています。
遠くに見えるのは角島大橋続きを読む

下関市壇之浦町 立石稲荷大明神

屋島の合戦で敗れた平家は西へ敗走し、
彦島を最後の拠点にしますが、
現在の立石稲荷大明神がある辺りで、
平家の軍船が沈没してしまいました。
この軍船には京都の伏見稲荷大社から、
平家が勧請したご神体が乗っていたとされ、
この地に祠を建立して祀ったという。


「… 続きを読む

下関市みもすそ川町 壇ノ浦砲台跡

長州藩は来たるべき攘夷戦争に備え、
壇ノ浦から櫛崎の間に砲台を配置。
その中心的なものが前田砲台ですが、
海峡の最も狭い壇ノ浦にも、
壇ノ浦砲台が配置されています。


八十斤加農砲(レプリカ)」。
海峡に向かって並ぶ… 続きを読む