江戸橋は志登茂川に架かる橋で、
最初の橋が架けられた時期は不明ですが、
江戸期に3度架け替えが行われたようです。
志登茂川は津藩領と紀州藩領の境で、
津藩藤堂家が参勤する際には、
この橋の西詰めまで見送りが行われ、
江戸への旅路の第一歩となる事から、
江戸橋と名付けられたとのこと。… 続きを読む
三重県津市 江戸橋
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江戸橋は志登茂川に架かる橋で、
最初の橋が架けられた時期は不明ですが、
江戸期に3度架け替えが行われたようです。
志登茂川は津藩領と紀州藩領の境で、
津藩藤堂家が参勤する際には、
この橋の西詰めまで見送りが行われ、
江戸への旅路の第一歩となる事から、
江戸橋と名付けられたとのこと。… 続きを読む
窪田宿は伊勢別街道の宿場町。
近隣に真宗高田派の本山専修寺があり、
お蔭参りの参拝者の他にも、
専修寺詣の人々も集まったようです。
それ程大きくない宿場だったようですが、
本陣や問屋場が置かれており、
多くの旅籠… 続きを読む
専修寺は真宗高田派の本山寺院。
浄土真宗の教えを説いた親鸞聖人は、
下野国高田に専修寺を創建し、
やがて真仏(高田専修寺2世)に任せます。
これが真宗高田派の起こりで、
後に高田専修寺の10世真慧は、
伊勢での布教活動の拠点として、… 続きを読む
半学舎は浄圓寺境内に開かれた私塾で、
明治10年に官許を得て開設されました。
「浄圓寺」。
四日市市大鐘町にある真宗大谷派の寺院。
この寺に生まれた大賀賢励は、
幼少期より儒学… 続きを読む
四日市市西大鐘町の県道9号線沿いに、
※員弁四日市線。
忠衛門碑という慰霊碑が建っています。
この辺りは忍藩の飛地だったとのこと。
「忠衛門碑」。
世直し一揆が盛んだった慶応年間。
相次ぐ不作に西大鎮村の村役野呂忠衛門は、
忍藩の代官所に年貢免除を嘆願し、… 続きを読む
楠原宿は伊勢別街道の宿場町。
伊勢別街道は関宿の東の追分から分岐し、
三つの宿場を経て津の江戸橋に至り、
伊勢街道と合流します。
楠原宿は三つの宿場のひとつで、
関宿と椋本宿の間に位置しており、… 続きを読む
坂下宿は東海道の48番目の宿場町。
難所である鈴鹿峠の東側にありました。
江戸時代初期は1.3km西側にありましたが、
慶安3年(1650)に土石流で壊滅した為、
幕府の援助を受けて現在地に移転。
以後は東海道有数の宿場町となり、
大変な賑わいを魅せた宿場だったようです。
「歌川広重 東海道五拾三次 阪之下… 続きを読む