[関東地方(東京除く)]」カテゴリーアーカイブ

栃木県大田原市 光真寺/大田原家墓所②

/②
つづき。


振宏院殿仙桟賢道大居士」。
23代(9代藩主)大田原庸清の墓。
22代(8代藩主)大田原友清の次男で、
父の隠居に伴い家督を相続しました。
26年の治世の後に死去。


圓徳院殿大光清鑑大居士」。
24代(10代当主)大田原光清の墓。… 続きを読む

栃木県大田原市 光真寺/大田原家墓所①

①/

光真寺は大田原市にある曹洞宗寺院で、
大田原城を築城した大田原資清が建立。
資清の実兄體翁麟道を開山に迎え、
大田原家の菩提寺としました。


大門(山門)」。
江戸中期に大田原城の門が移設されますが、
その時の門は焼失してしまったようで、
この門は文政8年(1825)の再建とのこと。… 続きを読む

栃木県大田原市 大雄寺/大関家墓所②

/②
つづき。


玄梁院殿活眼道印大居士」。
8代藩主(24代当主)大関増備の墓。
7代大関増興の嫡男として生まれ、
父の隠居により家督を相続しましたが、
翌年に死去してしまいました。


本覺院殿無量義印大居士」。
9代藩主(25代当主)大関増輔の墓。… 続きを読む

栃木県大田原市 大雄寺/大関家墓所①

①/

大雄寺は大田原市黒羽田町の曹洞宗寺院。
応永11年(1404)に白旗城内に創建され、
大関家の居城が黒羽城に移ると、
城の南側の現在地に移転しました。
15代当主大関高増の兄大関増次を開基、
在室玄隣大和尚続きを読む

栃木県大田原市 大田原宿跡

大田原宿奥州街道の22目の宿場町。
大田原城の城下にありました。


大田原市新富町周辺。緑の線が街道筋で、
青でぼかした辺りが宿場のあった場所。

北側より散策。

旧奥州街道 大田原宿 大久保木戸跡」。
蛇尾橋を渡って右折すると大田原宿入口。
大田原神社のある龍頭公園入口にあります。… 続きを読む

栃木県大田原市 黒羽城跡

黒羽城は天正4年(1576)に、
那須家重臣大関高増によって築城され、
その居城となっていた城。
天正18年(1590)の小田原征伐では、
主君那須資晴は参陣ぜず改易されますが、
高増はいち早く参陣した為、
所領1万3000石を安堵されました。
関ヶ原の戦いでも東軍に与しており、
加増されて… 続きを読む

栃木県那須塩原市 鍋掛宿跡

鍋掛宿奥州街道の23番目の宿場町。
那珂川増水で旅人が足止めとなる為、
宿場の住民が総出で鍋を出していたことが、
鍋掛の地名の由来のようです。



那須塩原市越堀/鍋掛周辺。
緑の線が街道筋で、
ピンクでぼかした辺りが鍋掛宿で、
那賀川を渡れば越堀宿でした。


鍋掛宿跡」。
街道沿いには古い建物は残っていませんが、… 続きを読む