御着宿は姫路宿と加古川宿の間宿でしたが、
本陣も置かれる程大きかったという。
これは御着が古くから栄えていた為で、
奈良時代には播磨国分寺が置かれた他、
小寺政隆の居城御着城が築城されるなど、
播磨国の要所であったようです。… 続きを読む
兵庫県姫路市 御着宿跡
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御着宿は姫路宿と加古川宿の間宿でしたが、
本陣も置かれる程大きかったという。
これは御着が古くから栄えていた為で、
奈良時代には播磨国分寺が置かれた他、
小寺政隆の居城御着城が築城されるなど、
播磨国の要所であったようです。… 続きを読む
鵤は推古天皇が聖徳太子に与えた荘園で、
太子が斑鳩宮から移住して、
政庁と寺院を建立した場所とされます。
その寺院が現在の斑鳩寺とされており、
七堂伽藍と坊庵を抱える大寺院でしたが、
戦国時代の戦乱で伽羅は焼失してしまい、
後に天台宗… 続きを読む
西国街道を横切る揖保川の東には、
正條宿という宿場町が設置されていました。
揖保川町正條周辺。緑の線が西国街道。
青でぼかした辺りが正條宿跡。
「正條宿跡」。
ちらほらと当時の建屋が残っており、
宿場町だった雰囲気は充分に感じられます。
往時は旅籠、問屋、馬借等180軒が並び、… 続きを読む
片島宿は正條宿と有年宿の間の宿場町。
龍野藩に管理されていたこの宿場には、
約80軒程の旅籠や茶屋等が、
街道沿いに立ち並んでいたという。
揖保川町原周辺。緑の線が西国街道。
青でぼかした辺りが片島宿跡。… 続きを読む
養翠園は和歌山市南西部にある大名庭園で、
紀州藩10代藩主徳川治宝が造営したもの。
治宝は大浦湾、水軒川、水軒浜周辺に、
西浜御殿の庭園として茶室… 続きを読む
幕末とは関係ありませんが、
九度山の真田庵に行ってみました。
関ケ原の戦いの前哨戦で上田城に籠城し、
徳川秀忠を翻弄した真田昌幸。
しかし本戦は東軍の徳川家康が勝利した為、
最早西軍… 続きを読む
山中宿は雄ノ山峠北麓の設けられて宿場町。
紀州側からは峠を越えた最初の宿場で、
泉州側からは峠前の最後の宿場でした。
大坂ー和歌山間の往来の他にも、
熊野詣の紀伊路の一部でもあった為、
山中ながら大変賑わっていたという。
「… 続きを読む