高杉晋作には三谷国松という少年の他にも、
※記事はこちら。
謎の僧がつき従っていたらしい。
その謎の僧の名は檜了厳と云い、
萩出身の書画の達者な人としかわからない。
しかも晋作関連の資料のみに現れ、
晋作の死後は忽然と姿を消しています。
その後の消息は全く不明。
白石正一郎日記や晋作の手紙等では、
井上聞多、伊藤俊輔… 続きを読む
2種類ある高杉晋作の写真のひとつ。
真ん中が晋作で、右側は伊藤俊輔(博文)。
では、この少年は?
山田顕義とか高島某とかいわれていますが、
彼の名は三谷国松。
晋作に憧れて付き従うようになり、
可愛がられていたようです。
国松は萩の医家村上某の息子とされ、
晋作が一時名乗っていた三谷姓を、
この少年に与えたという。
少年の肩からタスキ掛けのヒモが見えますが、… 続きを読む
宮城彦助は長州藩大組士。
和歌を得意とする文人として知られて、
文久3年に中山忠光が長州に赴いたため、
宮城はこの公卿の随従を命じられます。
文人の才を買われたのでしょう。
しかしこの中山忠光。
ただの公卿ではありませんでした。
若く狂信的な攘夷論者で、
雅な公卿ではなかったのです。
気に入らないからと失踪するわ。
真木和泉救出に久留米… 続きを読む
本日のNHK歴史秘話ヒストリアでは、
松浦武四郎を扱っていました。
蝦夷地を北海道と名付けた人物ですね。
松浦武四郎
視てない人に簡単に説明すると、
伊勢の庄屋の四男として生まれた武四郎は、
お伊勢参りの旅人に幼少より接し、
旅に憧れて諸国を遊歴して歩きます。
滞在先の長崎で病気となり、
その事がきっかけで仏門に入りますが、
「蝦夷地がロシアに脅かされている」… 続きを読む