幕末は遠い昔。
明治16~20年の事を鹿鳴館時代という。
欧米諸国に文明国であるとアピールする為、
政府は鹿鳴館という洋館を建てて、
迎賓や舞踏会を行った時代がありました。
洋館を造って舞踏会して文明国ですよって、
なんとも浅はかとも思えますが、
鹿鳴館政策を推進したのは井上馨でした。
散って逝った志士達がこの鹿鳴館を
草葉の陰でどう思ったのでしょうか?
高杉晋作が生きていたなら・・。… 続きを読む
幕末は遠い昔。
明治16~20年の事を鹿鳴館時代という。
欧米諸国に文明国であるとアピールする為、
政府は鹿鳴館という洋館を建てて、
迎賓や舞踏会を行った時代がありました。
洋館を造って舞踏会して文明国ですよって、
なんとも浅はかとも思えますが、
鹿鳴館政策を推進したのは井上馨でした。
散って逝った志士達がこの鹿鳴館を
草葉の陰でどう思ったのでしょうか?
高杉晋作が生きていたなら・・。… 続きを読む
庄内藩では幕末より釣りが盛んだったらしい。
昔から釣師の間では庄内竿は有名で、
名竿は名刀よりも価値があったとか。
庄内藩主も釣りを奨励していたようで、
釣場に行くのも鍛錬、魚との駆け引きも鍛錬と、
武芸のひとつとしての釣道であったらしい。
そういうわけで、
釣りに行く事を「勝負に行く」と言うそうです。
魚との勝負に勝った証が魚拓であり、
敵将の首と同様の意味が魚拓にはありました。… 続きを読む
小倉城を自焼させ田川に退いた小倉藩。
長州藩兵が小倉城下に入ったのは次の日でした。
高杉晋作や山縣狂介も小倉入りしますが、
白石正一郎も小倉に入っております。
白石が日記に記すところによると、
小倉城下はもぬけの殻で、
盗人の類いがうろつく程度であったらしい。
長州兵が… 続きを読む